【不定期連載】 牛の歳時記 第9回 牧開き 鈴木牛後 牧開き四方の山々退けて 片山由美子 掲句、牧開きの明るさを余すところなく表現している。昼なお薄暗い牛舎から、陽の光溢れる牧場へ牛馬が出てゆく。その開放感たるや、経験したものでないとわからないだろう。 春になり、牧草がだんだん青くなってくる。牛はそれだけでは外に行きたいという気持ちにはならないようだ。だが、ほのかに青草の匂いが漂うと、にわかに本能が目覚めてくる。 今は放牧地に肥料は撒かなくなったのだが、 数年前まではトラクターで肥料を散布していた。トラクターのエンジンを止めると、牛舎の方が何やらひどく騒がしい。何事が起こったのかと思って急いで牛舎に行くが、何事もない。ただ牛の咆吼が牛舎に満ちているだけだった。 おそらく、トラクターが青草を踏みつぶしたことで、その匂いが放牧草の味を牛に思い出させたのだろう。それくらい、牛にとって青草は魅力的なものなのだ。 匂いだけではなく、人間が放牧の準備をしているときも、牛はそわそわし始める。いつでも外に出られるように、気持ちを昂ぶらせているようにも見える。そして当日。牛を誘導するためのロープを張ったり、出入り口に置いてあるものを片づけたりしているうちに、牛の興奮は最高潮に達するのだ。 牛をつないでいる鎖を外そうとしても、気持ちはすでに放牧地に向いていて、鎖は切れんばかりに張っていてなかなか外せない。そして、やっと外したら牛たちは一目散に放牧地に向かっていく。 そうは言っても、冬の間じゅう牛は極度の運動不足なので、足を滑らせて転ぶ牛も続出し、たいへんな騒ぎになる。何とか外に出て行ったと思ったら、今度は必ず牛舎に向かって走って帰ってくる。どうして帰ってくるのかはよくわからないが、たぶん牛も興奮しすぎて何がなんだかよくわからなくなっているのだと思う。そうやって出入りを繰り返し、やがて落ち着いて草を食べ始める。 こんな興奮も初日だけ。2日目からは、まるで去年の秋の続きのように落ち着きをとりもどし、人間にも牛にも平穏な日々が訪れるのだが。 牧開きは、人間にとっても牛にとっても一大イベントだが、こんな風景もだんだん少なくなっている。効率優先の酪農経営にとって、放牧は計算しずらい技術だからだ。それでも放牧には、人間にとって原初の感情を呼び覚ます何かがある。だからこそ、無意識の領域と繋がっている俳句とはとても相性がよく、すばらしい句がたくさん作られてきたし、これからも作られていくに違いないと思う。 牛の尾の雲を連れゆく牧開き 牛後 俳句集団【itak】http://itakhaiku.blogspot.jp/ のブログに拙句が掲載されています。合わせてご覧頂ければ幸いです。 ●
2012-05-27
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