爽波の弟子である田中裕明の句を読んでいると、爽波の句と唱和するような句がたまに見られます。前回の本稿で鑑賞した爽波の〈墓参より戻りてそれぞれの部屋に〉と、裕明の〈それぞれの部屋に人ゐて夜の秋〉もそう。爽波句では、墓参でひとところに集まった人たちが解散していくさみしさのようなものを感じますが、裕明句では、「夜の秋」という大きな季語を置くことで、それぞれの部屋にいても、一つの家という共同体でもあることを思い起こさせてくれ、あたたかみを感じます。併せて読むことで、どちらの良さも引き立つように感じる二句です。
さて、第二句集『湯呑』は引き続き第Ⅱ章(昭和35年から48年)から。昭和46年、角川「俳句」10月号にて「特集・現代の風狂 波多野爽波」、作品50句と文章「遙けき人ら」を寄稿。この特集に寄せられた廣瀬直人氏の「写生の影」について、「的外れ」の部分が多いとして急遽「青」11月号で「写生の影」をめぐる特集を組んでます。年譜ではさらっと書かれてますが、実際どうだったんでしょう…。47年、「写生の影」からの影響はまだ続き、「青」9月号から写生特集。48年、「青」20周年。記念鍛錬会を吉野で開催。〈裸子の尿るに弓をなす背かな〉はこの時の句。
賽するややんまの大き眼に映り 『湯呑』(以下同)
「賽する」とは神仏に参拝すること。大きな蜻蛉のゆったりと飛ぶ、よく晴れた日を思う。球体である蜻蛉の両眼は、神仏に参拝する人間の姿だけでなく、地や大空までも映す。自然の中に配されることで、人間の行いが、儚く思われる。景は明るいけれども。
はじめより水澄んでゐし葬りかな
始めから水は澄んでいたのだ、その葬儀の前から。葬儀の日程は、朝に集って、御斎をいただいて解散となるまで、数時間のことか。葬儀の後の眼に、水がより一層澄んで映る。視覚的なことだけではなく、人を送った寂寥もまた、そこに投影しているだろう。
炉塞いで出づるや軽きものを履き
春になると炉を蓋で塞いでしまう。塞いだ後の部屋はのっぺりと広く感じられるものだが、掲句では意識は部屋よりも屋外へと向かっている。履物の軽さのみを言って、言外に屋外も一面の春であることと、それへ向かう心の弾みとを軽やかに描き出している。
大根の花や青空色足らぬ
晩春、大根の茎は丈を伸ばし、その頂に白や薄紫の花をつける。あくまで種を採るためのものなので沢山は咲かず、菜の花などと比べるとどことなくさみしい。下五の主観を生かした描写が、晩春の、晴れてはいるがどこかすっきりしない空模様をありありと思わせる。
大根の花と頷きあひて過ぐ
「あそこに咲いているのは、大根の花かね」「そうだね、大根の花だね」などというやりとりをしながら、歩き過ぎてゆく二人。大根の花とは、その前に長く人をとどめておくような力のある花ではなく、ふっと一瞬話題に上ってはすぐに忘れ去られる、そんな花だ。
七夕や母に素直な中学生
体格は大人に近いが、子供の部分を残す中学生。生意気も言うようになったが、母に対しては素直な子供のままだ。七夕の、年に一度の星空を思うと、中学生になるまでの時の流れの早さや、母子のこの先が思われ、この一瞬が特別な一瞬なのではないかと気付かされる。
裸子の尿るに弓をなす背かな
裸と言っても上半身のみを指す場合もあるが、掲句は正しくすっぽんぽんの男児である。家では流石にトイレに行くだろうから、これは海水浴や川遊びの景かもしれない。裸だからこそ分かる背の弓なりっぷりは、微笑ましくもあり、日常にはない開放感も窺わせる。
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