先日「澤」の12周年記念大会に参加しましたが、その席で小澤實主宰が「波多野爽波は高貴だった」としみじみ仰られていたのが、何とも印象的でした。私自身、爽波に会ったことはありませんが、対談や散文などに表れる爽波の人物像から、何となく「高貴」の意味も分かるような気がします。それは人として作家として美質でもありますが、何だかとても、生きにくそうな…。
さて、第二句集『湯呑』は引き続き第Ⅲ章(昭和49年から51年)から。今回鑑賞した句はだいたい50年の秋口から51年の春先にかけてのもの。50年11月には、「青」250号大会並びに宇佐美魚目句集『秋収冬蔵』出版記念会を大阪にて開催。
ちなみに、私の生年は昭和51年、そう思って読むと〈白魚の夕べは溯る畑の梅〉など、不思議な感慨があります。
掃きながら木槿に人のかくれけり 『湯呑』(以下同)
七月頃から咲き始め、強い日差しに向かって高く育った様子が印象的な木槿。昼間に外掃除もないだろうから、これはよく晴れた朝だろうか。手際良く掃き進める様、そしてその箒の音。掃除をしている人を隠してしまう木槿の高さ、大きさもよく見えてくる。
秋扇池に湧水見ゆるかな
池の水面に見えるかすかな盛り上がり、それは絶え間なく揺らいでいる。その下へと目をやると、水の中を勢い良く昇ってくる湧水の筋が見て取れる。「水澄む」という季語も思い起こされる。まだ暑さの残る時期であることをも思わせてくれる「秋扇」の働きが見事。
伐りし竹ねかせてありて少し坂
「竹八月に木六月」と言い、旧暦の8月(新暦の9・10月)が竹の伐り時とされる。伐って寝かせた竹の傾きに、初めて気づかされる地のかすかな傾斜。第一句集の〈百日紅坂がそのまま門内へ〉も魅力的な句だが、掲句はより一層肩の力の抜けた句境にある。
蟷螂の半死半生流れけり
蟷螂の鮮やかな緑が、見るみる流されていく。ここで「半死半生」と生死に言及しているのは、完全に死んだ訳ではない、流れに抗おうとする蟷螂の足掻きを、確かに見届けたことによるのだろう。川の流れの無常さとスピード感とが、そのまま句となったかのような。
もぎてきて置きて石榴の形かな
「もぎてきて」は至極当然のようだが、この上五の働きが、木に生る柘榴の実の面影を読み手に想起させてくれる。そしてその面影は、そのまま卓上に置かれた柘榴と二重写しとなる。野の自然をそのまま屋内に持ち込んだかのような、柘榴の生命力を感じる。
水落とす名のある山は起ちあがり
周囲を東山などの名のある山々に囲まれた、京都の盆地の景であろう。いよいよ稲刈も間近になった頃、田の水を落として田を乾かし、稲刈に備える。一気に季節が進むのを感じる時期だ。日々見慣れているはず「名のある山」も、改めてその高さを感じる。
白魚の夕べは溯る畑の梅
淡水の混じる沿岸域などに棲み、生後一年経つと海から河口をさかのぼり産卵する白魚。おそらくこの「夕べ」、潮が満ちてくる時だったのであろう。河に満ちゆく潮とそれに臨む畑、潮に乗る白魚と夕闇に香を放つ梅、様々な要素がめくるめくように入り組んでいる。
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