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爽波は射干(ひおうぎ)の花がかなり好きだったようで、自句自解の中でこのように、熱い射干愛を吐露してます。
射干のまはりびつしより水打つてさて、第二句集『湯呑』は第Ⅳ章(昭和52年から54年)から。今回鑑賞した句は52年春から秋にかけての句。52年3月、彼岸に高島へ一泊吟行。飯島晴子、阿部完市も合流しての句会になったそうです。その時の句が〈雛納め魦少々氷魚少々〉。4月には、三島由紀夫とともに句会に通った「最初の師」、山路閑古が死去しています。6月末、54歳の爽波は定年を半年後に控え、藤沢薬品工業の監査役に転出。それに伴って7月に枚方市走谷に転居しています。
水打つて射干の起ち上がるあり
盛夏とはまたさまざまの花の咲き競う季節でもあるが、それらの花の中でも殊に大好きなのが射干の花である。
東京で誰かと話しているとき、長年句作りをしている人から射干とはどんな花ですかと尋ねられたことがあったが、これは関西の方の花なのだろうか。
京都では祇園祭のとき、鉾町を歩くと玄関に屏風を立てて、その前に射干の花を活けてある風景に今以って接する。
しかし射干はやはり野の花である。いつだったか湖北の賤ケ嶽の麓の、とある農家の庭先に大きく咲き拡がっていた射干の見事な姿は今もってまなうらに焼き付いている。
この花の色も良いが自在に枝を拡げて咲き拡がっている、その全体としての姿が何よりも良い。吹き渡る風にも実に柔軟に対応する。だから思う存分水を打って、その打水にも全体をもって応えてくれる、その手応えをたっぷりと楽しみたくなるのだ。…(波多野爽波「『湯呑』自句自解」)
雛納め魦少々氷魚少々 『湯呑』(以下同)
魦(いさざ)は琵琶湖特産のハゼの一種で、全長約7センチメートルほど。佃煮にして食用。氷魚は鮎の稚魚で、見た目は半透明で氷のよう、こちらも琵琶湖の名産。雛祭りの後の、ささやかな膳ではあるが、どことなく華やかさの名残りのようなものを感じさせる。
山吹の黄を挾みゐる障子かな
掲句の場合、主たる季語は山吹。閉じられていた障子を左右に開くと、黄金色の山吹の花が目に飛び込んでくる。左右の障子の白と山吹の黄。色彩の鮮やかさもさることながら、障子がしっかり閉じられていた冬から春への移り変わりが、一景となっているようだ。
葭切や大きな音が町の方
あっさりとした書きぶりで、読む上では季語を深く読み解くことが必要となる句。川のほとりなどに大量に生える葭が、川風にしきりに揺れる。そこに見え隠れする葭切の姿、ひっきりなしにその鳴き声が聞こえる。その場の様子から、町との距離感も自ずと伝わる。
射干のまはりびつしより水打つて
盛夏の頃、茎を伸ばし、枝分かれした先に黄赤色で内部に紅点の多い六弁の花を開く射干。剣のように鋭い葉を扇状に広げる。黒々とした種子はぬばたまと呼ばれる。打水に濡れる様子は、住宅近くでも見かける射干ならでは。爽波の好んだ花だ。
水打つて射干の起ち上がるあり
「起ち上がるあり」というからにはそうでないものもある訳で、一群の射干が見えてくる。家の近くに自生している射干だろうか、打水をもろにかぶっている。倒れたままのものもあればすぐ立ち上がるものもあり、その様子を楽しみ顔の爽波の姿も見えてくる。
炎昼の一つ逆立つ萩の枝
秋の七草の一つとして古来から馴染み深い萩。たくさんの花を付けた枝が風に揺れる様はいかにも優しい。しかし掲句は夏の炎昼、花もまだ付けておらず、青々とした葉ばかり。一本を逆立てた枝々の様は、秋の花時とは違って、自然の持つ荒々しさを垣間見せている。
秋暑し籬の上に蓮の葉
立秋を過ぎ、幾らか風を感じるようにはなったが、日差しは盛夏と変わらぬ苛烈さで照りつけている。竹や柴で編まれた籬の上へと目をやれば、すっと飛び出た蓮の葉。季節が進んでいることを認識させられるが、同時に、否応もなく強烈な日差しが目に射し込んでくる。
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