音楽としての俳句 追悼・今井杏太郎
生駒大祐
〇.
すごく個人的な話から入りますが、人間は、と一般化するまでもなく、僕はときどきひどく落ち込むことがあります。というか、割と落ち込みやすいんですね。
理由があればそれを解決すればいいんでしょうが、理由もなく落ち込むこともなかなか多い。そんなときには人に会うのをキャンセルしてしまったり、原稿を落としてしまったり、そんな風になって、自己嫌悪でますます落ち込むわけです。
元気というものは不思議なもので、元気な人と触れていれば元気になるかといえばそうでもなくて、暗い音楽を聞いていればかえって癒される、ということも、ないわけではないですがまあいつでもそうではない。徐々に治っていく場合もあれば、急に元気になったりする。そんなきまぐれなやつなんです。
そんなわけで、「元気ない病」の処方箋は自分で見つけていくしかないわけですが、ここ数年の僕は、元気がないときにはなぜか今井杏太郎さんの句集を読むことにしていました。
早咲きの赤い椿が咲きにけり 「麥稈帽子」
草むらがうごいて秋も深まりぬ 「通草葛」
水に散るさくら流るるさくらかな 「海鳴り星」
ねむたさのはじめあたたかかりしかな 「海の岬」
雪が降り石は佛になりにけり 「風の吹くころ」
杏太郎さんの俳句は別に僕を癒してくれはしません。かと言って励ますようなこともしない。村上春樹の『1973年のピンボール』に「ゆっくり歩け、たっぷり水を飲め」という言葉がありますが、杏太郎さんの俳句を読むことは、僕にとっては歩くことや水を飲むこと、すなわち失われた普通の日常を次第に獲得していく過程で必要となる大事な要素となったのでした。
今回、杏太郎さんの俳句について書く機会を与えていただいたので、僕が僕なりに杏太郎さんの俳句に対して感じていたことをつらつらと書いていこうと思います。
一.
杏太郎さんの俳句には強い切れが少ない。
あけぼのや水のやうなる花の空 「麥稈帽子」
眩しみのくしやみなりしよ花杏 「麥稈帽子」
春愁や月に夕日のあたりゐて 「通草葛」
秋立つや雀の羽根のくれなゐに 「海鳴り星」
寒蟬や少女を愛してはならず 「海の岬」
夜寒さやひとのかたちに人形は 「海の岬」
句集から特に切れの強い句の例を書き抜いてみたが、いずれも切れとしては弱い。弱いというよりも、淡い。
そのことが杏太郎さんの俳句を弱くしているかと言えば、実はそうではない。その切れのトーンの淡さが、通常の俳句なら見逃してしまうような弱い切れを相対的に強めている。
その証拠に、強い切れが少ない代わりとして、杏太郎さんの俳句には多彩な「弱い切れ」が用いられている。
稚魚さんとあそんで茅花流しかな 「麥稈帽子」
深大寺さまにともりし烏瓜 「通草葛」
あかつきに雨あり青き葡萄あり 「海鳴り星」
三郎に次郎に白き日曜日 「海の岬」
風にうれひあれば竹の葉の散りぬ 「風の吹くころ」
「で」「し」「あり」「に」「ば」、いずれも弱い切れで、勿論意味としては繋がっているが、つるつると続く杏太郎俳句を読んでゆく上でこれらの助詞や終止形はなんともいえないリズムを形作っている。リズム。杏太郎俳句においては一見意味性の淡さが目立つが、その味わいを作っているのはその揺らぎを持ったリズムではないか。テンポの速い曲に比べてゆっくりとした曲がその一音一音の味わいを露わにするように、杏太郎さんの俳句においてはその一語一語の確かさが見えてくる。非常に単純であるが故に、精緻に構築された世界。それは、読んだときのかたくるしく「なさ」とは決して矛盾しない。それが杏太郎さんの俳句の不思議なところでもある。
二.
杏太郎さんの俳句においては、同じモチーフが繰り返し現れる。「老人」「川」「海」「山」「風」「さびしさ」etc.。たとえば「川」という言葉を用いた句は、
橋のない川のむかふに夏の月 「麥稈帽子」
子供らに春の小川は流れけり 「通草葛」
利根川の河口の波の野分かな 「海鳴り星」
南より北へながるる春の川 「海の岬」
春はまだ寒いよ川のせせらぎも 「風の吹くころ」
などがある。
こういった、同じモチーフが繰り返し用いられることは単なる作者の偏愛によるものだろうか。それとも、意味性を薄くするために抽象語が好まれるが故だろうか。
いずれも一面の真実ではあるだろうが、僕はこれらを「変奏」であると思いたい。つまりは、ある音楽においてあるひとつフレーズが様々な文脈で用いられ、その意味合いや風合いを変化させてゆくように、杏太郎さんはそれらのモチーフを様々な角度から詠み分け、句集の適切な箇所に配置したのだと。そう考えると、前節で言った言葉の「音」として性質がよりクリアになってゆく。ふと、ミニマル・ミュージックという単語が僕の頭をよぎったり、した。
三.
技巧的であることと平易であること。反復的であることと新鮮であること。当たり前であることと不思議であること。それらは決して矛盾しないということを僕は杏太郎さんに教わった。
角川『俳句』2011年5月号の震災特集に、杏太郎さんは以下の句と短文を寄せていました。
それも夢安達太良山の春霞
「よく眠り、よく食べて、元気になって下さい。」
僕はこれを見て、ああ、そうだなあ、と妙に納得してしまったことを覚えています。俳句ってそういうものだなあ、と。僕が元気がないときに杏太郎さんの俳句を読むのは、励ますでも突き放すでもない、杏太郎さんの人柄に惹かれてのことだったんだなあと再認識しました。
四.
杏太郎さんのお葬式に参列させていただきました、ぼんやりと控室に座っていると、色紙が回ってきました。棺に入れるためのもので、俳句でも言葉でもなんでも書いてよいらしかった。僕は
老人の息のちかくに天道蟲 「麥稈帽子」
という句がとても心に残っていたので、
吹かれゐし天道蟲の舞ひあがる ゐ
と書かせていただきました。
届けばいいな、と、なんとなく思っています。
杏太郎さん、ありがとうございました。
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