〔週刊俳句時評69〕
定型詩の記録性
松尾清隆
朝日新聞の「俳句月評」(7月30日朝刊)で田中亜美氏は、小原啄葉句集『黒い浪』から〈時の日の時計をはづす遺体かな〉〈移り住む高所おのづと山桜〉といった句を紹介し、
ときに正視に耐えられないような光景についても、事実のままに、 静かに抑制された筆致で記録している。(中略)いま「震災俳句」は、後世へ語り継ごうとする意志の強度と何より関わっているのではないか。と述べている。おなじく朝日新聞の「短歌月評」(8月20日朝刊)では加藤英彦氏が、川口常孝の〈犯されしままに地上に横たわる女を次の兵また犯す〉について、
戦地中国で目撃した光景を加害の視点から描いた戦場詠である。この女性たちは強姦の後に殺された。戦争という状況下で公然と行われた性暴力や殺戮を文学としてどう捉えるかという問題がここにはある。(中略)圧倒的な暴力の前に、加担しないという消極的意思しか表明できなかった者の痛みに満ちている。と評している。この一首が収録されているのは、川口が73歳のときに刊行した第8歌集『兵たりき』で、じっさいの出来事から長い時間を経て世に問うたもの。加藤は、新聞歌壇から戦時を回想する作品が減ってきたことにも言及していて、
かつて、8月15日前後の新聞歌壇には戦争詠が多かった。この時期にだけ申し合わせたように戦争詠が集中することに複雑な思いも抱いたが、それでも語り継ぐことの大切さを思う。と述べている。震災と戦災とは別の問題だが、定型詩のもつ記録性という面から考えるとき、震災後を生きるわれわれにとって有用なヒントを戦後の定型詩から得るということも可能ではないか。たとえば、毎年3月11日前後には「申し合わせたように」震災を詠むといったことが、震災の記憶を風化させないために必要になってくるのかも知れない。
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