2012-08-05

「恐怖」という扁額 倉阪鬼一郎『怖い俳句』を読む 藤 幹子

「恐怖」という扁額
倉阪鬼一郎『怖い俳句』を読む

藤 幹子



「俳句は世界最短の詩です。
と同時に、世界最恐の文芸形式でもあります。」

という語り出しで始まる本書は、怪奇趣味的な俳句はもちろん、一見読み過ごしてしまいそうでありながら、ふとどこかで心に引っ掛かりを生じるような奇妙な味わいの句たちのアンソロジーである。テーマ別アンソロジーは、これまでも種々数多編まれてきたと思われるが、「怖い」を主テーマに据えたアンソロジーは初めてではないだろうか。

驚くべきは掲出される俳句と作者の多彩さであろう。松尾芭蕉から種田スガルまで、実に二百人とその二百句以上を挙げ、それぞれに鑑賞が行われている。虚子・子規とその直接の門下など教科書に載るような作者たち、あるいは三鬼、赤黄男、白泉、窓秋に代表される新興俳句の雄、前衛俳句、自由律、現代川柳も忘れず、新撰・超新撰・俳コレ所収作家も目配りした漏れなき構成。(著者のブログに目次があるので、参照していただければどれだけ網羅しているかがわかる→ こちら

掲載句をつらつら抜き出せば、

太陽や人死に絶えし鳥世界  高屋窓秋

野遊びの児を暗き者擦過する  永田耕衣

帰り花鶴折るうちに折り殺す  赤尾兜子

デパートのさまざまの椅子われら死ぬ  島津亮

ひとりゐて刃物のごとき昼と思ふ  藤木清子

首をもちあげると生きていた女  時実新子

このような具合で、私のような浅学な者には、こんな句こんな作者がいたのかと身を乗り出すことも多々あり、著者の碩学・収集努力には頭が下がる。

鑑賞はテーマ通り怪奇・幻想・恐怖寄りであり、いささか強引の感を覚えることもあるが、これは前書きにあるとおり、

「本書に掲載されている俳句に接して、すべてを怖いと思われる方はまずいないでしょう。怖さのツボは人によって違うのですから」

ということなのだろう。個人的には多行書きや分かち書きの句について、その効果にきちんと触れて、著者の視点から丁寧に説明されているところに好感をもった。

かつて澁澤龍彦はその博学を以て、多岐にわたる分野における「奇なるもの」を紹介し、論じた。その奇想という扁額によって、ある人々は嬉々として、またある人々は恐る恐るそれらに触れ、めくるめく未知の世界の開帳に酔いしれることとなった。本書もまた、「怖い」というキーワードをかかげることで、俳句形式の短さゆえに起こる余韻、響きが時に醸し出す奇妙な感覚を、まだ俳句に触れた事がない、あるいは少ない者へ伝えていく一書になるのではないだろうか。新書サイズという手軽さもそれに一役買うだろう。まずは一読、お勧めする。


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