2012-08-26

攝津幸彦シンポジウムのお知らせ

攝津幸彦シンポジウムのお知らせ

今回のシンポジウムは、世代の異なる俳人が参集して、攝津の作品を再読し、語ることで、彼の俳句世界をもういちど2010年代の今に再設定しようとする試みです。

攝津幸彦(1947-2007)、 関西学院大学で学びました。学友伊丹啓子(俳人・伊丹三樹彦の長女)の誘いで、関西大学俳句研究会を創立。全国学生俳誌連盟の大会(松山)で、戦後世代の俳句をになってゆく坪内稔典、澤好摩、小西昭夫、など、現在も活躍する俳人たちと出会い、その後の重要なネットワークとなりました。文学表現のスタートは関西だったのです。(母は角川俳句賞作家摂津よしこ。桂信子の「草苑」に所属)。

やがて彼は、坪内稔典,大本義幸らと「日時計」「黄金海岸」等の同人誌活動をはじめます。卒業後は関東に移り住み、。戦後世代の同人誌「未定」に参加。まもなく同人誌「豈」を創刊、仁平勝、大井恒行、大本義幸らとユニークな俳句同人誌に育て上げます。高柳重信の五十句競作に応募して注目され、世紀末から今世紀はじめにかけて、同人誌から出発した戦後生まれの俳人として活躍しました。「豈」は現在、「俳句空―豈」として、筑紫磐井、大井恒行。酒巻英一郎を中心に継続されています。

攝津幸彦の俳句は、難解とされるものが少なくありませんが、しかし幼児体験に根ざしたとうかがわれる懐かしいものもおおく、幅広い題材と大胆な方法の実験をこなし、初期には関西弁を取り入れた口語俳句など、また、超現実的なイメージの表現を試みるなどユニークな実験を重ねています。関西にあって前衛俳人といわれた赤尾兜子、林田紀音夫、伊丹三樹彦らと交流、晩年は永田耕衣に共鳴しました。先鋭な革新性と、伝統的な形式を自家薬籠中の物とした技術の高さによって、スケール大きさを認められています。

句集は、『鳥子』、『與野情話』、『鳥屋』、『鸚母集』、『陸々集』、『鹿々集』。 死後に『摂津幸彦全句集』、『未完句集四五一句』と「未定稿句」集を含む。散文集『俳句幻景』。

逝去の一年前に阪神・淡路大震災が発生。数多くはありませんが、攝津幸彦の震災に関して書かれたと思われる三句を紹介します。

  手の内をいくつもみせぬ春の地震
  そして神戸そして学友朴散りぬ
  比類なく優しく生きて春の地震  以上『未定稿句集・四五一句』

今回は、摂津幸彦と関西を結びつけるための第一歩です。

  糸電話古人の秋につながりぬ   攝津幸彦

夭逝の異才のことを共に語りたくこの会を呼びかけました、どうぞご参加ください。

大橋愛由等、岡村知昭、中村安伸 堀本 吟

関連
http://blog.goo.ne.jp/maroad-kobe
http://shiika.sakura.ne.jp/sengohaiku/settsu/2012-08-24-10353.html  
http://shiika.sakura.ne.jp/sengohaiku/settsu/2012-07-27-9835.html
リンク


神戸文学館 文学イベント・土曜サロンのご案内


平成24年9月8日(土) 午後2時~3時半

シンポジウム 一九七〇~八〇年“俳句ニューウェーブ”の旗手・攝津幸彦を読む

パネリスト 中村安伸(俳人)、岡村知昭(俳人) 堀本 吟 (俳人) 総合司会 大橋愛由等(俳人・詩人)

攝津幸彦(1947~96)は70年代から80年代にかけての俳句界に大きな刺激を与えた“俳句ニューウェーブ” の一翼を担いました。但馬・八鹿生まれで、関西学院大学在学中に俳句を始め、関西弁を使った句などユニークな実験を重ねました。前衛性と伝統性を併せ持った俳人と位置づけられています。世代の異なる俳人が集まり、作品を再読し語ることで、攝津の俳句世界をよみがえらせます。

開催場所:神戸文学館 セミナーエリア

受講料:参加資料代として200円をいただきます。(小学生以下無料)

申し込み:先着順 定員50名 (当日も範囲内であれば可)

申し込み方法: 受講名称、住所、氏名、電話番号をお知らせください。
 電話/FAX 078-882-2028(水曜日は休館日)
 ハガキ:〒657‐0838 神戸市灘区王子町3丁目1-2 神戸文学館あて
 E-mail :kobebungakukan@river.ocn.ne.jp

〔交通案内〕 ≫アクセスマップ
阪急電車 : 王子公園駅 西出口から西へ 約500m  JR : 灘駅 北出口から北西へ 約600m 阪神電車 : 岩屋駅から 北西へ 約800m 市バス : 王子動物園前から西へ 約200m.王子動物園西南角、赤レンガ造りのチャペル風建物(元関西学院大学のチャペル跡、元市立王子図書館、元王子市民ギャラリー)

会後、大橋愛由等の店、「スペイン料理・カルメン」(三宮)で、慰労と懇親会をおこないます。参加を歓迎します。できれば、事前にご一報ください。

 カルメン検索 http://www.warp.or.jp/~maroad/carmen/

3 comments:

仁平勝 さんのコメント...

「比類なく優しく生きて春の地震」の句は、阪神・淡路大震災を詠んだものではありません。堀本吟さんが、どこかでそんなことを書いたのが間違いの元でしょう。そもそも1月に起こった地震を「春の地震」とはいいません。
この句は、大震災より前に発表していた句で、それが『悲痛と鎮魂――阪神大震災を詠む』(朝日出版社)に載っているのは、そのとき出版社が震災の句を募集したのに応じて、攝津幸彦が手持ちの句を出したのです。そのことは、拙著『俳句の射程』(富士見書房)の「汎用性」という文章に詳しく書いてあります。
攝津幸彦は、時事俳句を作るような俳人ではありません。

野口裕 さんのコメント...

時に感じて作ることと、時に応じて発することの差。難しい問題です。

堀本 吟 さんのコメント...


仁平勝様、ここにアピール文を掲載をお願いした私としては、もう少し綿密にコメントなどをチェックして置くべきでしたが、この期間に、繁忙をきわめていたので、うっかり大事なご指摘を見逃してしまいました、仁平さんへのお礼とともに、天気さんのご厚意に対してもうしわけないことなので、おわびいたします。

それから、貴著『俳句の射程』(持っているのですが)、この句のことを書かれた《汎用性》の項目は、どうしたわけか、見過ごしていて、自分の調査不足に気がつかないとは我ながら情けないことでした。

 まして、初出が、震災前の仁平さんと一緒の句会にだされていたことや、同人誌に掲載されていた事実やいきさつについては、私としてはそれは知る由もなく、摂津さんの場合も他の方と同じように本書の目的にそって、阪神大震災のためにつくられて出句されているとばかり思っていました。事実を知った今も、さらに言えば、被災者や被災を悼む読者に、その時の時事に即して、そのように扱われてもいいものとして、作者が以前に作った自句を投げ出したものと思っています。摂津ほどの巧者になると、こういう時事的な場面にふさわしく応用できる類型は既に出来ているわけですね。
 
『悲傷(「悲痛」ではありません)と鎮魂ー阪神淡路大震災を詠む』では、ある会で一緒になったその編集者の方がいあわせた一人一人にもとめられていたので、私もその時期に作った一句を出しました。それは、

 地震(なゐ)ふりて全山蝶の哭きやみぬ 
                 堀本吟

というのでした。

 するとなぜかこれが新聞のコラムで紹介され、しかも数年後にまたもういちど同じものが、別のそれらしき感想文を添えてそのコラムに載りました。別の地震のことだったかもしれず、阪神の震災の何周年目のことだったかもしれません。そしてまたその二度目のときには、ミクシィの読者から「なぜこれが震災の句なんだ」、と非難を孕んだ口調で冷やかされました。地震はたびたびあり、こういう時のいいかたというのは、慶弔句と同じく、別の地震にでもあてはまるものだ、またお悔やみの席では何を言っても白々しい時があります。自分を主張などはしないもので、しかしながら、こころが動けばやはり言葉になりますもので、哀悼の出し方には、上手でも下手でもやはりその人なりのものがあるものだと、その時におもいました。今回の場合もやはりそう思いました。
 
 でともかく、結果として、この摂津句に関しては、「俳句界」2011年5月号の拙文に、初出『悲傷と鎮魂ー阪神淡路大震災』からと決め込んだことは、私の調査不足として、出典についての事実の訂正が必要ですね。

 『鹿々集』にも、この句の発表の履歴や、どういう思いで、あの本に出したか、までは書かれていませんから、「摂津さんも、ヒトが悪いなあ」、と実際の彼の善良な人柄を思いだしつつ苦笑いしているところです。
 摂津幸彦が、地震の前にすでに、阪神大震災や今回の東北の津波&地震への状況にも、時事的にもピタリと当てはまる「比類なく優しい」こころのあふれた、叙情的かつありえぬ幻景を残していたのか・・。「春の」という措辞については、私も少々こだわりましたが、中村安伸さんや岡村知昭さんが、うまく説明してくれています。
 ということで、お騒がせいたしました。
ずいぶん考えさせられるご指摘でした。

野口裕さん、いつもどうも温かい公平な発言をありがとうございました。堀本 吟