2012-09-02

俳句の自然 子規への遡行06 橋下直

俳句の自然 子規への遡行06


橋本 直           
初出『若竹』2011年7月号
(但し加筆・改稿がある)
≫承前 01 02 03 04 05


前回、「パノラマ」についてふれた。よく、旅行会社のパンフレットや旅のTV番組などで耳にする「車窓からのパノラマ風景」などという、あの紋切り型の言い回しの起源である。子規が日本近代のもっとも早い段階で、車窓から後に「パノラマ風景」と呼ばれる景色を眺めた一人だと見ることもできることと、それを漢詩や紀行で作品化していたことについても触れた。もっとも、まだ子規は型どおりの表現で詠んだのみで、新しい文学の器にもれていたわけではないし、当時はそのような志をもって俳句に挑んでいたわけでもない。

今回は、やや視点をメタレベル寄りにし、これまで焦点をおいている明治二〇年代前半のころの「自然」にまつわる問題についてから見ておきたい。

最大の文学は自然の儘に自然を写し得たるもの也。極美の美術なるものは決して不徳と伴ふことを得ず。(巌本善治「文学と自然」『女學雑誌』第一五九号 明治二二年)
これは、巌本が評論の中で箇条書きにしている二つのテーゼである。特に一つめは、明治二二年の文に書かれているにもかかわらず、一見すでに究極の「写生」について述べているかのようにも見える。例えば以下の子規の定義、
実際の有りのまゝを写すを仮に写実という。又写生ともいふ。写生は画家の語を借りたるなり。(中略)写生といひ写実といふは実際有のまゝに写すに相違なけれども固より多少の取捨選択を要す。取捨選択とは面白い処を取りてつまらぬ処を捨つる事にして、必ずしも大をとりて小を捨て、長を取りて短を捨つる事にあらず。(「叙事文」「日本付録週報」 明治33・3・12)
これは写生についての説明としてよく引かれる文であるが、この「実際の有りのまゝを写すを仮に写実という。又写生ともいふ。」と、『俳諧大要』における「俳句は文学の一部なり」というテーゼを併せ見るとき、ありのままを写すことこそ美をくみ取る方法である、という風に考えると、先の巌本の「最大の文学は自然の儘に自然を写し得たるもの也」という物言いと子規のそれとの共通性を感じることは容易である。しかし、それは見ようによっては正しく、見ようによっては誤りであるといわねばならない。

かつて柳父章氏が『翻訳の思想』(平凡社 1977)で明らかにしたように、「自然」は「nature」の翻訳語として使われつつ、同時に旧来の意味を保持しているがために、明治以来折に触れ混乱をもたらすことがあった。例えば『広辞苑』で「自然」の意味を抜粋すると、
し‐ぜん【自然】
①(ジネンとも) おのずからそうなっているさま。天然のままで人為の加わらないさま。あるがままのさま。
②イ〔哲〕(physis ギリシア・natura ラテン・nature イギリス・フランス) 人工・人為になったものとしての文化に対し、人力によって変更・形成・規整されることなく、おのずからなる生成・展開によって成りいでた状態。超自然や恩寵に対していう場合もある。
ロおのずからなる生成・展開を惹起させる本具の力としての、ものの性(タチ)。本性。本質。
ハ人間を含め、山川・草木・動物など、天地間の万物。宇宙。
ニ精神に対し、外的経験の対象の総体。すなわち、物体界とその諸現象。
(第五版CD-ROM版による。本稿で不要の部分の引用は省略している。)
ここでの①が古来よりの意味であり、②が「nature」の訳語にあたる。ともに人為の加わらない、あるがままのもの、という意味においては共通することがわかるが、「nature」は「人間を含め、山川・草木・動物など、天地間の万物。宇宙。」という我々にもなじみやすい意味をもちながら、一方で「精神に対し、外的経験の対象の総体。すなわち、物体界とその諸現象。」という意味もあわせもつ。

これは、その言葉の背景にある歴史的経緯にまで遡らないとなかなかに理解しにくいが、簡単に言えば自然と人間の対立項の有無であろう。実際、あるがままの自然を表現する、とはいっても、その対象たる自然を人間の想念(イデー)がとらえ、文学(美)的言葉に言いかえることで文字通りの文学として表出されるわけであり、そのような内部での知的作業をする人間の想念の外側にある物質世界を「nature」と言うのなら、二項は対立する。そのような建前に立つとき、訳語の意味を踏まえていなかった巌本のテーゼは弱く、当時森鴎外に論難されることとなった。

そこで先の子規の「叙事文」に再度目を転じるとき、巌本の物言いに共通する部分の後に、「実際有のまゝに写すに相違なけれども固より多少の取捨選択を要す。取捨選択とは面白い処を取りてつまらぬ処を捨つる事にして、必ずしも大をとりて小を捨て、長を取りて短を捨つる事にあらず。」といそいで付け加えられていることに気づく。

「面白い処を取りてつまらぬ処を捨つる」「取捨選択」とはすなわち、先ほど触れた人間の想念(イデー)のことを述べているように見えるのだ。

つまり、明治三三年の子規は、一見人間と自然を同じ範疇でみる東洋的自然観的な物言いと同時に、それを分離する西洋的な自然観に基づく人間の想念の知的作業を踏まえて「写生」を定義していると見えるのである。

しかし、後代のものがその「写生」をどう解釈していったのかは別の問題である。また、明治二、三〇年代の子規は具体的には「自然」という言葉をどのように使用していたのだろうか。今後、これらの問題について取り上げていくことにしたい。

(つづく)


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