2012-09-23

林田紀音夫全句集拾読232 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
232


野口 裕




天窓に日のあるうちの飯粒追う

昭和五十八年、未発表句。「追う」は、目で追うの意味か。飯粒が動くとすると、童話的な風景だが、おそらく動くのは飯粒に当たる陽光だろう。この時期の発表句に、「仏飯」が出てくるので飯粒はその関連と思われる。

蓮に日の当たるひっそり坂下りて

石垣に日当たる昔ながらの形


昭和五十八年、未発表句。前の句もそうだが、このあたり何気ない陽光の景がよく出てくる。スルーした句にも、「坂道の夕日に馴染む手足あり」、「全円の没日河口に近く浮く」、「灌木に日当たりすこし昔ながら」、「しばらくは日当たる幹に歓語の他人」、「木漏れ日の揺れ行く水の声つづき」など。視覚優位の作家が、無季にこだわる場合の原風景がこれらの句になる。

 

落葉また落葉の学園祭すすむ

昭和五十八年、未発表句。珍しい素材。娘さんが大学生の頃か。落ち葉で少々歩きにくい中を、珍しげにあちこちを見て回る初老の紳士が想像されてほほえましい。

 

雨音の風呂にしばらく目をつむる

昭和五十九年、未発表句。瞑目して何を考えてるかというと、実は何も考えていないように見える。「風呂」という場がそういう想像をさせる。まして、雨音が加われば余計なことを考えなくてすむ。身は湯の中に、耳は水音の中に。

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