松山 巖 インタビュー
震災・原発・都市・言葉・文明 【中篇】
『塵風』第4号(2011年12月)より転載
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■小説は論理的、評論は飛躍が多い
関 『日光』〔註15〕のあと、小説はショートショート集の『猫風船』〔註16〕だけですか。
松山 そうですね。『猫風船』とか、このまえの何だっけ。同じようなもんだな。
関 『くるーりくるくる』〔註17〕って小説でしたっけ。
松山 エッセイと思われてるけど、まァ小説よ。僕は『世紀末の一年』〔註18〕でも、小説家が書いていれば小説、評論家が書いてると思や評論であって、どっちでも同じと思ってる。どっちにしたって自分が出てくるわけですからね。あれは司馬遼太郎批判みたいなとこあってね(笑)。司馬さんはたいした人だけれども、皆あれに巻き込まれて、司馬遼風に書けば素晴らしいと思っちゃって、その枠組みから出ないでしょ。あれは変だと思う。こないだもそういう作家がまた書いていたけど。人の悪口は言うのやめよう(笑)。でも、変ですよ。
関 小説と思えば、『群衆』や『うわさの遠近法』のように、かなり資料を駆使した本でもそう見えます。
松山 そうですよ。だって僕は小説の方が論理的だと思ってるわけ。実は評論の方が飛躍が多いんですよ。あるところへ飛んで結び付けていかないといけないから。だから、こじつけみたいなところが多いんですよね。小説は意外と丁寧なんですよ。論理的に組み上がっていくもんだと思ってる。それを説明するのは文章としておかしいから消しちゃう、それで見えないところがあるけれど、書き手の中では論理的になっているはずですよ。論理と言うのは、ひとつの論理ではなくて二重三重になっていて、どっちもどっちだって意味も含めてですけどね。評論の場合はあるところで筋を通していくから、ビョーンて飛ばないといけないときがあるわけですよ。それを後付けして、こじつけしてるようなもんですよね。書評なんておおかたこじつけですよ。ここんとこ3.11以降書いてるのはこじつけにこじつけを重ねて書いているんです。
関 最近、読売新聞の書評欄でアランの『幸福論』について書かれていますね。
松山 あんなのもこじつけと言えばこじつけ。そもそもアランを疑ってるもの。それくらい大好き。僕の書評欄はたとえば二一字で書いて五〇行と決めたら、その中で書きます。その中で言葉を選ぶからギチギチですよ。今度書いた井上ひさしさんの『グローブ号の冒険』の書評ですが、最後にただ歌を入れたかっただけ。読めば分かりますが、歌を四行入れたの。何かと言うと、「ひょっこりひょうたん島」(笑)。それが今回の小説の原点にあるってことをどうやっても言って、最後に「♪苦しいこともあるだろさ。悲しいこともあるだろさ。だけどぼくらはくじけない。泣くのはいやだ、笑っちゃおう♪」ってのを絶対入れたかった。そのために筋はギチギチに詰めて。
「こじつけ」ってのはそういうことです。つまり小説にしても文学でも何でもいいんですが、いろんな読み方ができるわけですよ。ものの見方が書評とか批評家のレベルの高さだと思われてるけれど、むしろこじつけとか誤読が絶対必要なんですよ。それをせずにいかにもあるようなものを書いてる書評はぜんぜん面白くないわけね。だから僕が三島由紀夫について書いたものも、誤読に誤読を重ねてるようなもんじゃないですか。
関 『都市という廃墟』〔註19〕ですか。
松山 そうそう。つまり『乱歩と東京』にしたって、あれもこじつけって言やあこじつけですよ。そういう風に見えると言っているだけで。
関 あのこじつけは三島ファンの友達が読んだら、何だかわからなかったようです。
松山 だから、それは三島を非常にステレオタイプ的に見てしまうから、そのステレオタイプを崩そうとするとね。三島は美学だとか何だとか言い始めると、読めないはずだよ。
関 近代化の過程とか、社会とか、建築とか、群衆とか、不定形な物を書こうとするときに、他からのルート──無意識のところに抑圧されていたようなものとしての文学テクストにいったん行って、それを三島なら三島でという形の読み方ですね、あれは。
松山 そうかもしれませんけどね、三島は逆説の逆説を考えていくようなところがあるから、それが面白いなとずっと思ってて。『新潮』で連載を頼まれたときに、そういう視点で。書いてることは『朝日ジャーナル』あたりに小さなコラムで書いていたのと同じなんですけれども、それをそのまま時評的に書くのはつまんないから、三島を使ってみようと。もう一回、戦後を対象にしたいというのがありましたからね。
関 イコノロジーとして、三島を通して社会を見るみたいな。
松山 そうそう。そういうときにやっぱり飛躍があるわけですよ。こじつけがね。
関 イコノロジー的な読解というのはどうしても一般的な三島読者にしたら馴染みにくいんでしょうね。
松山 図像でやれば、ここがこうだと言えるだろうけど、言葉でやるのは非常に難しいですね。
関 それがこういう風に重なり合うというか、響き合うんだというのがわかる人には非常にスリリングなんですけど。
松山 そうかもしれないし、それまで親切にしてやる必要はないとも思うんだ。そこはこちらの芸だと思っているところがあって。このごろは研究論文みたいな評論ばかりだからね。
関 『都市という廃墟』のように、都市と三島みたいに飛躍のあるものの間に論理を通すのは小説ですね。いまのお話で言うと。
松山 そうでしょうね。
関 司馬遼の方が逆に評論ですね(笑)。
松山 まァ理屈だから、勘で間違ってもいいからって感じがありますよ。二、三年すると「あっ、失敗したな」と思うことがずいぶんあるじゃない(笑)。だけど、書いた真実は必ずあって、若気の至りという時期ではもうないけれど、書いたときにこの言葉遣いを使ってしまい、あとから「これ失敗したな」と思うけれど、それからもう二、三年経つと、意外とけっこうこれでよかったって気持ちになるもんね。
■震災後の書評欄はみな緊張して書いている
関 たぶんお書きになるときには原発事故が起こるなんて考えていらっしゃらなかったでしょうが、『群衆』には最初に足尾銅山の話が出てきます。足尾銅山の経過は最初はなかなか鉱毒と伝えられず、ずいぶんあとになって伝えられても、結局ナショナリズムの高揚の中でうやむやになっていく。渡良瀬遊水地の話は『日光』でも出てきますが、松山さんには何か思い入れがあるのでしょうか。
松山 現地を見に行ったりしたし、あれは近代の最初の禍根というか、近代化を象徴する大事件だと思うんですよね。
関 その原型として『群衆』の冒頭で出ている足尾鉱毒事件は、いまの原発事故でも、近代日本でこういうことが起きたときには事件の経過として必ず通るようなことがみんなここに出てるなァという。
松山 ああいうものを書いているときは、それはずうっとありますよ。いまでもずうっとあります。
関 『うわさの遠近法』と『群衆』には、いま起きてることとこれから起きることがそのまま重なりそうなことがいっぱいありますね。
松山 ここのところずっと気になっていたのが大木実さんの詩なんです。戦後に書かれた「夜、井戸を汲む」って詩だったかな、「薪を割る必要もなくなった。電気入れれば便利になった。でも怖い。なぜだか怖い」という、それだけの詩。とってもいい詩。そういう不安感は誰でも持ってたはずだと思うの。その不安感すらなくなった不安なんだろうけどね(笑)。僕は焼け跡派ではないけど、その世代をある程度知ってますから、急激にここまで成長しちゃったことに対して不安感を持ってますよ。だから、こんなことがいつか来るんじゃないかなというのは、例えばその大木さんの詩に共鳴しているところがあります。いまでも思うんだけど、あんまりそればっかり書いてもしょうがないから、少しは元気になりましょう、笑ってみましょうというのでアランのを書いたんですよね。
いま、読売の書評欄はかなり緊張してみんな書いていますよ。朝日や毎日とぜんぜん違う。読売には読書委員会というのがあって、みんなでかなり言い合います。そのときもああいうことをやりたいとデスクが言うんだけど、僕は最後まで反対してたんです、実は。普通でいいと。
関 つまり震災に対して、ことさら励ますようなことはやりたくないと。
松山 そうです。僕は「普通の書評が出てくればいいんじゃないか」と言ってたんですよ。でも、デスクは「どうしてもやりたい」と。「どういうことやりたいの」と聞くと、やっぱり「本音を出して欲しい。地声を出して欲しい」と言う。で、「それは難しい」と言うと、「難しいけど、ともかく松山さん、最初
に書いてくれ」と。それで「いいんだね」って僕は言ったの(笑)。「違うかもしれないよ」って。それでもデスクが「いいです」と言うから、それでああいうことを書いたの。
関 辛いけど頑張ろうってスタンスは一番力が出にくいんですよね。
松山 他の新聞ではそういう書き方はしてませんよ。いま読売の何人かの書評は間違ってるかもしれないけどいい。つまり「情けなくてもいいじゃない」とか言う書評が出てきているわけ。強引にね。それは他の書評欄ではあり得ませんよ。僕は面白いなァと。そういう書評の場にいられることがですけどね。せめて、何か書けるという場があることはとてもいいじゃないですか。新聞というメディアの中でできるってことはやっぱり大きなことですよ。読売新聞という大きな枠組みはあるけれども、その中でそれとは別に書評という場所は僕が責任持てるからね。言葉に対してあることが言えるってことは面白いですよね。
だからこじつけですよ、ほとんど。書評でも何でもいいんですが、小さい物でも書いたものは、いま自分が背負っていることが必ず出てきますからね。背負っていない人は背負っていないように書くだろうが、何か背負っていれば必ず出てくる。それはどんなものでも、俳句だろうが短歌だろうが、背負っているものが出てくるから、そこに面白さも出てくると思うんですね。だから、それが言い方によってはこじつけだったり、僕の言い方すれば無責任かもしれないし、誤読だったりするかもしれないけど。そりゃ当然ですよね。詩やなんかは、「これ(茶碗を持ち上げて)渋い」とか何とか言うときに、自分が背負っている世界を「渋い」とか、お茶一杯に何かを託すじゃないですか。そういうことでしょ。ほとんど誤読の世界ですよ。
■『ドグラ・マグラ』は関東大震災後の精神のルポ
関 『群衆』の中では後半、夢野久作の『ドグラ・マグラ』が出てきて、『ドグラ・マグラ』の精神病院の世界は単なる幻想の世界としてではなく、関東大震災後の人々の精神の風景みたいな形で読んでいますね。
松山 そうです。
関 それまで松山さんのような読み方はないですね。
松山 ないです。
関 あれは松山さん言うところの「誤読」ですか。
松山 うん。あれで「近代文学会」ってとこに呼ばれたんですよ。十人ぐらいのただの読書サークルだと思ってたら、大勢人が来てて。「なんだこれは」(笑)。つまり明治文学から近代までをずっとやってる学者ばっかりで、みんな「○○大学の○○です」って手を挙げて言うわけですよ。だから、ああいう読み方なかったでしょうね。昔、川村湊と共同通信で推理小説の主人公を題材にして、二枚くらいの原稿を書くってのを二人でやっていた。川村が「川」で、僕が「山」というペンネーム。『ミステリー・ランドの人々』という単行本になりました。そのときに『ドグラ・マグラ』の主人公アンポンタン・ポカン君について書いて、それ以来、ずーっと気になっていた。これは久作はもっといろんなこと考えてるなって勘が働く。そこから先は久作が考えていたかわかりませんよ。だけどそれだけの読みができる本だろうと思ったんです。
関 夢野久作でも「街頭から見た新東京の裏面」「東京人の堕落時代」ってルポがちくま文庫版全集の二巻にあります。
松山 あれは関東大震災後のルポルタージュだから面白いですよね。「東京人には騙されるな」って最後にね(笑)。あれ、最高の震災論だね。
関 そういう社会的な目で文学を照らし合わせると面白いなって。金子光晴、今回見たらドキッとしました。
松山 『群衆』はね、全部終わったときにあらためて「これ、全部金子光晴で書きゃよかったな」(笑)と思ったくらい金子光晴は面白かったな。
関 文庫版の四〇三頁の「わが生に與ふ」とか、「空中を走る重量と、/機械の記録だけの/じつにとんでもない形態と/とんでもない意力が横行して、/もはや人類の歴史ではなく、/なにか、全く別なものだ。」という、これ原発事故のあとで読んだらなんかインパクトが凄い。
松山 あるいはその前のね、これですよ。「亡びゆく瞬間までも、人は猶、奇蹟を待つてゐる。/信仰が縁を断つたその奇蹟を/科学がもつてきてくれよう。//科学があいそつかしたそれを/偶然が届けてくれるだらう。」(「奇蹟」)って、これを昭和一八年に書いてるのは凄いですよね。まったく科学信仰で進んで、それがダメになったとき、今度は偶然でとか言い始めているでしょ。そこまで言っちゃってるってことです。光晴の詩が凄いのはそのへんまで届いてきてる。戦後になると少し弱くなってくるんだけど。戦時中から戦後すぐのころの詩は凄いですよ。変なもんですよ文学ってね。そういうふうに人間が緊張しているときであればあるほど文学として力を持ってるからね。
関 今回の大震災のあとでも『ドグラ・マグラ』や、あるいは大戦が終わったあとの戦後文学に相当するものが、これから、いまの精神の風景を取り込んで出てくるかもしれませんね。
松山 もちろん出るでしょう。ただ、それがいつ出るかはわかりませんね。詩人とかって遅いもんなんですよ。早くやるのはジャーナリスト。僕はいまジャーナリスティックにそういうもの書いてるけど、本来であれば、ゆっくりゆっくり、いま黙ってる人が正しいかもしれない。ただ黙ってるほど、僕は金もないから、間違ってもいいなと思って書いてるに過ぎないですよね。
関 戦後文学のように主題としてそれを出すのではなくて、関東大震災に対する『ドグラ・マグラ』みたいな、一見どこが繋がっているかわからないけど、言われてみれば確かに繋がっているというものがもうぼちぼち出てきているのかもしれませんね。金子光晴について、今後まとめて一冊とかはないですか。
松山 あんまりそこまで考えていない。みんないろんなこと言うんだよなァ(笑)。
関 作家単独ではなくて、それを通して時代なり、社会なり、他の物と照らし合わせてイコノロジー的に見えるものが出てこないと、書くときに面白くないですか。
松山 何かプリズムとして屈折しているものがないと、ちょっと僕も書きがたいね、僕は文学を大学の講座としてきちんと受けたことがないというコンプレックスがどこかにあるんです。建築で言えば、たとえば丹下健三批判なんて、丹下のどこがまずいか平気で書けるわけ。他の分野の人からすると大建築家の丹下健三を批判するのは難しいと思うけれど、こっちはよくわかってるから。ところが、文学で言えば、僕はちゃんと漱石を講座で勉強したことがないわけですよ。文学をきちんと勉強してれば、漱石だって批判できるはずなのに。だから他の文学者にしてみても、つまんない人は書く気しないから、そういうことになりますよね。乱歩なんか凄いなと思いますし、漱石より乱歩の方が凄いんじゃないかと思ったりすることもある(笑)。乱歩だって愚作はいっぱいあるわけですが。
■建売住宅の下には死体が埋まっている
関 今後、小説を書くご予定はありますか。
松山 書いてみたいですよ。ただ、なかなかね。ほんとはミステリー書いてみたいけれど、アイディアがない(笑)。短い物は変なとこに書いてるんだけど。『猫風船』みたいなところに書いてるんですけどね。
関 ミステリーだとがっちりした構築がいりますよね。小説と別に論理を無理矢理通しちゃうような。
松山 それにひとつやんなきゃいけない本があって、ある人物の文章から戦後を読むっていうのをやるつもりだったんだけど。なんか物語作りたいなァって気にはなってますね。
関 若いころ読んだ乱歩とか横溝とかのあと、いま現在の作家まで、推理小説で好きな作家とか、注目している作家っていますか。
松山 中学から一貫して好きなのは山田風太郎。純文学では藤枝静男。高校時代は石川淳。あれはミステリーですよ。自分は死んじゃったっていうので書いてる作品がいくつかありますよ。戦時中ね。久作が言うように、すべてはミステリーっていうとこありますよね。梶井基次郎なんて、ほとんどそうじゃん。
関 梶井について何か書いていらっしゃいますか。
松山 ないな。何かに絡めて短いの書いたかな。建売住宅批判を書いたの。「建売住宅はなんでこんなに美しいんだろう。下に死体があるから」と。一部の人だけに受けた(笑)。いやいや、実際そういう事件があったんですよ。松戸でね。
関 建売住宅が美しいってなかなか出ないですよ。
松山 いや、美しいんだよ(笑)。
関 風景として見た建売住宅って面白くないです。
松山 幻想ですからね。住宅展示場の方が美しいんですよ。何故かと言うと塀がないからですよ。そうすると解放されているように見えるの。現実はブロック塀で囲んだり、フェンス作ったりするでしょ。自分の財産守ろうとして。すると一気に汚くなるんですよ。生活っていうのはどこか汚い部分がありますからね。
関 建築作品としてプラモデルのように展示物として置いておくと非常にきれい。
松山 きれいってことはないけど、美しいということの反語的に言っているだけでね。憧れの対象でしょ。外国人に日本人の住まいはペットハウスって言われたのは犬小屋という意味だけじゃないんですよ。ペットを可愛がると、犬や猫にチャカチャカしたものを付けるじゃない。だからあっちから見ると建売住宅は小さな犬小屋、それに装飾してる感じがあるんですよ。だからとっても美しい(笑)。
(つづく) ≫後篇
〔註15〕『日光』 松山巌著。朝日新聞社、一九九九年。松山巌の現在までのところ唯一の長篇小説。水の漏るボロ家に住む「私」のもとに出現した石に乗った老人に招かれての日光ドタバタ幻想紀行。自称千姫、自称藤村操等も登場。いろは歌が各章のタイトル。シェイクスピアの台詞がしばしば引用される。
〔註16〕『猫風船』 松山巌著。みすず書房、二〇〇七年(翌年オフィス・コアからCD-ROM版)。ショートショート集、全四一篇を収録。都心部の片隅を舞台にした、ユーモラスでナンセンスな幻想綺譚が多い。
〔註17〕『くるーりくるくる』 松山巌著。幻戯書房、二〇〇三年。短篇七篇「猫の事情、人の都合」「陰陽石」「くるーりくるくる」「背中の荷物」「遍路もどき」「通夜のカンケリ」「淋しい顔」を収録。既に喪われた身近な人たちや町を回顧的に描く作品集。
〔註18〕『世紀末の一年 900年 大日本帝国』 松山巌著。朝日新聞社、一九八七年。のち、朝日選書(一九九九年)。
〔註19〕『都市という廃墟』 松山巌著。新潮社、一九八八年。のち、ちくま文庫、一九九三年(ちくま文庫版のみ「二つの戦後と三島由紀夫」の副題あり)。犯罪事件から浮かび上がる現代都市の精神風景を、戦後の空虚さの一典型としての三島由紀夫のテクストと交錯・対照させ、浮き彫りにする。
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