2012-09-30

寝る前の一冊 矢島渚男『身辺の記Ⅱ』 関悦史

【俳句関連書を読む】
寝る前の一冊
矢島渚男『身辺の記Ⅱ』

関悦史



タイトル通り、普通のエッセイ集である。

ことさら俳句についてばかり語った本ではない。

一篇が見開き二ページ、どこから読み始めても、どこでやめてもよい。

寝る前に読むのに最適である。


歳時記、季語にまつわるものを別にして、こういうエッセイ、俳人によるものは意外と見かけない気がする。

俳句が話題の中心になっていると、ものによっては、床柱を背に説教を聞かされている気になってきたり、そこまでいかずとも、どことなく窮屈な感じがしてくることが少なくないのだ(この辺、個人的な感じ方で、俳書を集中的に読む機会も必要もない人にとってはまた別なのかもしれないが)。

飯田龍太のエッセイは立派なものだが、読むほうも背筋を正さなければならない気がするし、山口誓子のを読んだときは、新聞の読者投稿欄じみた何の発見もないいかめしさに辟易した。

そういうわけで、あまりもっともらしくなりすぎない、肩の力を抜いて、寝る前に読める俳句周辺のエッセイというのは、案外貴重なのだ。


寝る前に聴く音楽について書かれた「眠りの音楽」で挙がっているのは、クイケンのヴィオラ・ダ・ガンバ無伴奏曲集である。これは私もよく聴いていた。

アーベルとかオルテスとかいう名も知らない人の古曲が演奏されていて名曲ではない気安さからか、最後まで聴かないうちに眠ってしまう。

ほかにグールドのゴールドベルク変奏曲とか、同じくバッハでクニャーゼフの無伴奏チェロ組曲なども挙がっているが、この本自体にも似た功徳がある。


句会で奇妙な陶器が出てきて、これがじつは戦時中に作られた信楽焼の手榴弾だったとか、NHK全国俳句大会で五万句から来る投句(大半はお行儀のよい月並句である)のなかで渚男氏が選んだのが《蛇はきらい臍の緒よりも長いから 野田月子》という抜群にヘンな句で、発表したら会場がどよめいたとか。

あるいはユン・チアンの『マオ――誰も知らなかった毛沢東伝』を読んで、ギネスブックでスターリン、ヒトラーをしのぐ史上第一位の虐殺者に毛沢東が挙がっているのに驚いたり、宇宙空間の暗黒物質や、宇宙誕生のもととなった「対称性の破れ」について感心したりとか。

ほかにも、珍しい名字の話、サソリは自殺するかしないか等々。


個人的な思い出話ももちろん入るが、関心が広くて、各篇二ページのなかにいろいろな話題が出てくる。

そして話を切り上げるときの中庸を得た感じがよい。

というか、ここが「寝る前に読む本」たりうるかどうかの分かれ目でもある。独創的な卓見だらけだったら、こっちは寝るどころではなくなるのだ。


私の知らない、興味深い俳人のことも出てくる。

渚男氏の結社「梟」に大住日呂姿という人がいた。『埒中埒外』(二〇〇一年)という句集を出して、まもなく亡くなった。

不可思議な人が不可思議な句を残し、句集を作り一年半ほどで忽然と世を去って行った。

句集冒頭と末尾の二句だけ引かれているのだが、確かにやや変わった句である。

  探梅や手柄立てむに似し心   日呂姿

  雪原二枚縫ひ合はせ来しわが足跡

中原道夫氏にも通じるような奇想の見立てだが、それが外に硬く自立するのではなくて、もっと自分の心情に還ってきて、親しげなおかしみに転じるというか。


ちょっと前にネット上で「夏の夜長」なるヘンな言葉を見かけ、体が微妙にねじくれるような気がしたが、ちゃんと秋の夜長になってから、時宜を得た本に会った。

これを書いている今は不眠の真っ最中なのだが、また床に就いて、拾い読みでもしてみようか。





矢島渚男『身辺の記Ⅱ』紅書房/2012年9月





※本書は著者より寄贈を受けました。記して感謝します。

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