2012-10-21
朝の爽波 38 小川春休
38
1月から始めた本稿の連載も早いものでもう9か月が経とうとしています。いろいろと自分なりに掴んだこともあれば、余計に謎が深まったような部分もあり…。何かの手がかりになればと、爽波の残した俳論・散文の類を読み直しては特にポイントになりそうな箇所を書き抜き、自分なりの爽波語録を拵えているところです。この爽波語録、@sohabot という名前でツイッターのアカウントにまとめつつあるところですので、興味のある方は御覧ください。
さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十五年」から。今回鑑賞した句は、昭和55年の春から夏、6月頃までにかけての句と思われます。この年の4月8日には、虚子忌を室津にて迎えています。〈虚子の忌を明日にぞくぞく海に星〉はその時の句、いや正確にはその前日の句。
清瀧や朝寝男の大声に 『骰子』(以下同)
京都市右京区の清瀧は清滝川沿いの景勝地で、紅葉の名所・歌枕でもある。朝寝も扱いようによっては恋の情緒を強く感じさせる季語だが、掲句は遅くに起き出した男のがさつさを前面に出し、そうした情緒など見事に裏切ってみせる。爽波の反骨の気質が窺われる句だ。
虚子の忌を明日にぞくぞく海に星
爽波の俳句の上での唯一の師・高浜虚子の忌日は四月八日。翌日の忌を控えて、師の思い出が心に去来する。忌の当日ではなく前日であるところに、並々ならぬ思い入れが見てとれる。その心情に応えるかのように、潤んだような星の光が見渡す限りに広がる。
霾るや墓地をくる手のひらひらと
霾(つちふ)るは春、モンゴルや中国北部から多量の砂塵が偏西風に乗って日本に飛来する現象。気象用語では黄砂とも。手だけがクローズアップされた独特な視点は、遅れて墓地にやって来た人を、墓の前にしゃがみ込んでいた人から見た目の高さだろうか。
大皿のなまぐさくあり八重桜
大皿に盛られている物は具体的には示されていないが、やはりこれは刺身の盛り合わせであろう。つやつやとした透明感のある、とりどりの赤と白の刺身は美しくも生臭い。八重桜は桜より二週間ほど花期が遅く、春の暑さを感じる頃でもあり、生臭さを際立たせる。
雨ながら菖蒲湯熱く沸きゐたり
菖蒲湯は端午の節句に菖蒲の根茎を入れて沸かした風呂。菖蒲独特の香気が邪気を祓い、心身を清める。若葉に降り注ぐ初夏の雨と、沸かせた風呂の湯に揺らめく菖蒲とを融和させ、その響き合いをなだらかなものにする「ながら」の働きに注意して味読したい。
孑孒や好きで訪ひきし花の寺
孑孒(ぼうふら)は蚊の幼虫、池や溝のよどんだ水などに湧く。夏季の孑孒と春季の花との季重ねであるが、掲句は晩春の思わぬ好天に孑孒が湧いたと読むべきか。中七下五の率直な心情の吐露も相俟って、孑孒が嬉しそうに浮き沈みする姿が目に浮かぶ。
河鹿鳴く刻を大きく取り違へ
ヒョロ、ヒョロ、フィフィ…と美しい声で鳴く河鹿蛙は、水の綺麗な谷川に棲息する。掲句では上五に意味上の区切りがあり、河鹿が刻限を違えた訳ではない。ただ刻を取り違えただけでなく「大きく」である点が、句の表情を明るくし、伸びやかな句としている。
【参考資料】[YouTube] 日本で一番きれいな声で鳴くカエル
Frog sing the most beautiful voice in Japan
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