成分表54 心がある
上田信治
「里」2010年10月号より転載
高校生の時だ。
たしか体育の授業が終わって休み時間、みなが着替えているときに、一人の同級生が、顔を、教室の明るいほうに何となく向けていた。
もう名前も覚えていないのだけれど、わりと整った顔の目の大きな男だった。古い翻訳小説なら「すぐりの実のような」と形容しそうな、すこしせり出し気味の黒目のてっぺんには、小さく光が踊っていたかもしれない。仮に○○君とするが、その彼の表情にとぼしい顔を、自分は特に興味もなく見ていた。
その時ふと、ある理解が訪れた。
「○○君にも、心がある」
思ったとか考えたというのではなく、いきなり電気が通じるように分かってしまった。この明るい教室の映像が、彼の目の穴を通って彼の心によって見られているということが、ありありと感じられたのだ。
彼には心があり、今まさに、この世界を経験している。自分はとても驚いて、小さく「おお」くらいは言ったかもしれない。
○○君にも心があることがどういうことかというと、自分の心が経験しつつある、ただ今の「この世界」に、○○君の世界も重なってあるということだ。
だとしたら、世界は、ひどく混み合った場所ではないか。
しかも、○○君の見ている世界には、まさにこの自分である自分が、質量を伴った「お肉」として見られて存在しているのだ。なにそれ、気持ち悪い!
「人には心がある」という理解が、その後どうなったかというと、ふだんは忘れられていて、ときたまやってくるのだが、そのたびに、自分主役の映画のセットが端からばらけていくような、たいへん居心地の悪い思いをする。
世界に自分以外の心が存在することには、どうも慣れない。
あと、この話をすると、聞いた人がときどきすごく怒ります。いや、あなたに「心がある」ということは、分かっているんですよ。ただ、ちょっとそのことが気持ちが悪いっていうだけで。
世界が心だらけであることは、この世の秘密のひとつであるのだが、お互い、あまり思わないほうがいいのかもしれないと思う。
柚子の花きみに目があり見開かれ 佐藤文香
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