2012-10-07

星の虚実 金子敦句集『乗船券』の一句 西原天気

星の虚実
金子敦句集『乗船券』の一句

西原天気



流星やゲーム画面に地平線  金子 敦

流れ星が見られる日時というのがニュースにもなって、その夜、ずいぶんと長い時間、空を見上げましたが、星はなかなか降ってこない。周りに高い建物のない高速道インター付近まで出かけたりもしましたが、その夜は少し遠出の散歩というだけに終わりました。思うに夜空が明るすぎるのだ。東京近辺、あるいは日本全国の都市部。街のあかりがどこも明るい。空気の加減も影響するのかもしれませんが、ともかく星を見る環境には暮らしていないのです。

もちろん星がまったく見えないというわけではありませんが、天の川や星月夜も同様の事情。東京で天の川なんて見えませんよ。星の数個と月さえ見えれば「星月夜」と言ってかまわないというなら別ですが、星月夜なんて、なかなか経験できない。

流星、天の川、星月夜。都市生活者にとっては、どれも、なかなかお目にかかれない稀少価値の高い景色なのです。そのわりに俳句に結構な頻度で登場するのが、これらの秋の季語です。

で、です。「ふだん見ていないのに季語に使うな」と言いたいのでは、まったくないのですよ。言いたいのは、ふだん見ているもののように流れ星や天の川や星月夜が扱われるのは、やっぱりちょっと抵抗がある(ふだんから天の川が見えるようなきれいな空の下で暮らしているというなら、もちろん別です)ということ。

では、「ふだん見ているもの」のようではなく、これらの天文を季語として扱う、というのは、どういうことなのか? ひとつには、虚の成分を含みつつ。あるいは思いの中のイメージとして。そうした位置づけで句が成り立つようにするというのは、ひとつの配慮だと思います。

さて掲句(前置きが長かった!)。

ここで「流星」は、「ゲーム画面」に配合されています。切れ字「や」を強く感じて読むなら、流星の見える(ような)夜のこと、作者の目の前にゲーム画面がある。一方、切れをゆるやかに解せば、その流星とは、ゲーム画面の地平へと流れていく流星のようにも思えてきます。いや、むしろ、実物の流星と画面の流星、そのどちらかというのではなく、そのどちらも同時に、私たちに届く。

この句、流れ星をとりたたて美しく見せる道具立て、舞台にはなっていないかもしれませんが、私たちが、いまの暮らしぶりのなかで経験する流星として、とても美しく、ちょっとせつない景ではあります。

ところで、画面に展開されるのが、どんなゲームなのか。ここには書いていないのですが、殺伐とした風景ばかりが続く、例えば近未来のディストピアものだと、流れ星がいっそう美しく映えると思うのですが、どうでしょう?

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金子敦第4句集『乗船券』(2012年4月29日/ふらんす堂)の句群、また(私の知っている)金子敦さんの句をひとことで言うなら「スウィート」。甘いものがお好きで(なにしろ第2句集が『砂糖壺』なのです)、菓子の句が多いこともありますが、句の感じがスウィートなのです。それと、清潔な叙情。

句を読みながら作者を想像すると(私はまだお会いしたことがない。お顔もお姿も知らない)、「心のきれいな人」。

まちがっても、句会の二次会でカラになった焼酎瓶で人のアタマ殴る(実話です)とか、乳首の色かたちがどうだこうだとか、株屋の営業がうぜぇだとか、そういうこととは、きっと無縁。

そんな人がつくる、スウィートで清潔な叙情を湛えた句は、しかし、心が汚れた私などからすると、気持よちよく拝読できる反面、そのスウィートネスにちょっと抵抗を感じる瞬間もあったりする(読者は贅沢なのです。否、むしろ私などが読んではいけない世界、という感じか)。

『乗船券』も金子さんのこれまでの路線と基本的には変わりません。ただ、ちょっと虚のほうへ傾いた句もいくつかあって(掲句もそう)、それらは金子さんの真骨頂とは言えないかもしれませんが、一歩踏み出した感じがあるのです。

例えば、

漆黒の羊羹に散るさくらかな  金子 敦

は、順当でまとも、金子さんのこれまでの甘味俳句の路線のようでいて、「漆黒」の一語が、夜桜の景を同時的に響かせて、たいへんオツです。塩味の効いた羊羹て感じです。

あるいは、

月光がピアノの蓋をあけたがる  同

メルヘン(これも金子さん俳句の特質)を纏いつつも、ピアノの黒い蓋を開けたときの、あのピアノ線の内部の色合いが、そういえば月光のようで、ピアノが月光を招き入れたがっているような気もしてきます。

掲句を含め、ポリフォニック(多声的)な句に惹かれました。

(一句一章・二句一章いずれにかかわらず、モノフォニックな句が多いものです)

また「どこか別の場所」に半歩踏み出すような句に、とりわけ惹かれました。句集の主調音ではないにしても、こうした句は、一冊・一篇の幅をたっぷり持たせるうえで重要な句だと思うのです。




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