【落選展2012を読む】
その1 『ガラス山の魔女たち』という物語
楢山惠都
≫落選展2012
洗ったばかりの洗濯ものをすべて干し竿に吊るして、ま白い布が風にはためく。石鹸の香りがどことなくたちこめ、ひと仕事成し終えた充実が体にある。落選展、ということばにはそんな健やかさを感じます。
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ふと静か丸花蜂の歩むとき 福田若之
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『ガラス山の魔女たち』という物語にでてくる丸花蜂がすきだ(現在の版では『魔女ファミリー』に改題されている)。知恵のある偉大な蜂なのだ。その影響か、昆虫のなかで蜂だけは賢い、という気がする。集団の秩序があるし、六角形の巣は数秘術めいている。まるまるしたきいろな胸、花粉をたくさん運べそうな毛のある脚。哲学者の遊歩。
ギターケース背に秋冷えのガード下 同
このひとは、他のどのパートでもなくギターだ、という気がする。シューゲイザーの雰囲気。さきほどまでスタジオで練習していたのだし、ガード下の轟音でますます耳の機能は低下する。「丸花蜂」とは異なるタイプの静けさ。
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銅像の眉毛の下の燕の巣 杉原祐之
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ロフティングの『ドリトル先生』シリーズには多くのどうぶつが登場するが、その中にロンドンスズメのチープサイドというのがいて、聖ポール寺院のエドモンド聖者像の左耳にねぐらがある。
にんげんの形をした銅像って、偉人の姿を模したり美を志向したりしているが、そんなのおかまいなしに鳥たちの営みがある。そのずぶとさが快い。
小児科の扉の秋冷を押しゐたる 同
病気にかかったひとに「扉」を押せる体力は無いでしょう。ましてや小児科です。弱った子どもの保護者が、一刻も早く医者に診せよう、一刻も早く楽にしてあげよう、とぐいっと扉を押すのです。子を持つ、ということの弱みと切なさが、秋冷の空気に打たれるように伝わってきます。
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ベランダの物に水やり春の雨 前北かおる
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ある時期、父が園芸に凝っていて、雨降りの日でさえ庭の植物に水遣りを欠かさなかった。それは意味ある行為なのだろうか。と花屋勤務の友人に笑って話すと、庭作りをなめてはいけない。と真顔で返された。
真摯、ということについて考えるとき、あたまをよぎるエピソードだ。
空いてゐる優先席に春日さす 同
空席の優先席まで見渡せるのだから、この車両自体が空いているのだろう。春は移動するひとが多い季節だけれど、通勤通学のピークが過ぎた昼下がり、やっと電車の混雑が消えたのだろう。優先席に座るべき切迫さは誰にもなくて、それでも皆どこかに腰掛けられる。余裕のある春のうららかな時間帯。
枝の下に水平線や大桜 同
ここまで汗を流しながらも階段を昇りきったのは、この高台の桜を見物するためだ。みごとな枝ぶりである。いちばん下の枝の、更に下に、彼方の水平線がのぞく。きらめく鏡の破片のような海。桜のピンクは意外と薄いものだから、海の濃紺に圧されてしまいそう。
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たんぽぽよからだの奥の声の巣よ 飯島葉一郎
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鼓草とも呼ばれるたんぽぽだから「声の巣」なのかしら。でも、そうでなくとも、春の陽気にゆらゆら揺れるきいろい円は「声の巣」のくぐもった球の感じによく響く。もしかしたらたんぽぽの白い綿をふーっと吹いたとき、体の奥の「巣」を感じ取ったのかな。
わたしたちが発言する時、歌う時、呻く時、それぞれにふさわしい声が飛び立って、出番を終えたらしずかに戻る。巣で羽を休め、次の機会を待ち受ける。
じぶんの身体に内臓があるなんて知らなかった頃を思いだす。噛み砕かれ呑みこまれた食べものは、粉雪のように体内に降り積もるんだと想像していた。医学の発達には畏敬の念を抱くけれども、詩で身体を把握し直すのはまた別のことだ。
消化液まみれの僕も春なれや 同
蝌蚪群れているかに頭皮隆起せり 同
揚句も、なにか嘔吐したわけでなく、体内に満ちる消化液に「まみれ」ている身体を言うのだろう。交尾の季節である春、というのもきもちがわるい。なにせ頭皮のしたにオタマジャクシが群れている、というのだから。きっと鏡で頭を確かめてはいない。じぶんでは確認できない箇所を、手で探って、そのぼこぼこさをオタマジャクシになぞらえている。
穴子百匹夜の大動脈にもぐる 同
夕焼けに万の背中の潜みけり 同
兎百匹詰まっていたる春の山 同
体内というより、視認することのできない空間のことなんじゃないか。視ることができないからこそ暴力的に想像がふくらむ。
明け方の夢 廃屋に蝶満ちて 同
桜とは死後に見る夢咲き満ちて 同
視認することのできない空間は、夢、そして死出の国につながる。
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風ひかる音楽室に水充ちて 高梨 章
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光の状態でいちばん美しいとわたしが思うのは、水に反射するときです。水を通すと光線の形がよく顕れるから。揚句は音楽を水と捉える。なめらかにひびく弦楽器かしら。水、光、音楽の三重奏だ。きらきらしい。
水鳥が鏡を割つて驟雨かな 同
四月の鏡のなかをあかるい船がゆく 同
このひとにとっては、そのきらきらしさは鏡と結びつくものらしい。
ひらがなの影うすむらさきのすみれ 同
ひらがなの影ってなんだろう。紙に落ちる影がうすむらさき色をしているのは覚えがあります。
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二つある小さな方が春の橋 上田信治
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よく似通った二つがあるとして、差をつけるため基準を設ける。というのは一般的なことだろう。大きい小さいは誰にとっても明らかなのだ。しかし、そうではない個人的基準にこそ、そのひとの感覚がよく表れる。
春の橋とはどんな橋なんだろう。桜花が散るのか。澄んだ水があるのか。鶯が鳴くのか。麗らかなきもちに似合う橋だろうか。もしくはうら寂しい橋かもしれない。年度始めの喧騒にはくたびれきってしまうが、その疲れにぴったり沿う橋なのかもしれない。
揚句は、橋を一般的な基準で指し示しつつ、個人の基準で説明する。このひとの物差しにはユニークな目盛りがたくさんついているのだろう。それを囁き声で教えてもらうとき、もしかしてふたりの目盛りが一致するとき、友だちになりたいと思う。
月おぼろ二つのごみを一つにし 同
打って変わってこちらでは、似通った二つを比較、吟味した結果、区別しないことを選んだ。でも、おぼろ月の光でしょう。月光はあたりをよく照らすけれど、おぼろ月だからな。けぶった夜気のもとで基準もあいまいになりそう。
つまり、あいまいになりがちなのが感覚なのであって、細かいことは置いておくのだ。ごちゃごちゃにして手をつなごう。
同じマスクがずつと落ちてゐて夢のやう 同
あいまいになりがちだからこそ、一般的基準を持たないことは危険だ。毎日、同じ道を歩いて、同じマスクがずっと落ちている。なぜ同じだと判断できるか、というと、同じ箇所に落ちているからだとか。汚れ具合が同じだからとか。私たちはそんな判断の積み重ねのもと、磐石な世界を生きている。
では逆に考えてみて、同じマスクさえ道に落ちていれば、世界の他のことがすりかわっても気づかないかもしれない。異世界同士を、同じマスクを接点にすることによって、そっくり入れ替える。
毎朝、友だちに、わたしの声は昨日と同じ?昨日と違う顔をしてない?と確認していた小学生だったことを思い出した。パラレルワールドに引きずられることより、それに気づかないことのほうが怖かった。ぼんやりした子どもだったんですね。
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はつなつやフライドポテトかりと噛み 小早川忠義
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モスバーガー式フライドポテトでなく、マクドナルド式フライドポテトなんだろう。つまり、じゃが芋そのままの形を残したのでなく、芋をつぶして長細い四角に成形し直したものだ。それでないと「かりと」噛める部分は無いです。
フライドポテトは初夏が似合うたべものだと思う。晴れやかにやさぐれる。マックシェイクを添えて。
退職を思ひ止まり花山椒 同
この原稿を書くため、何度も通し読みをしたのだが、この句はいつも目に飛びこんできてハッとする。だから花山椒なんだなと思う。いやはやよかった。ほっと安心したくなるけれど、花山椒のぴりっとさは、この決定が不本意なものである可能性も示唆するわけで。
トーストの蜂蜜落ちて花疲れ 同
お花見にでかけてビニールシートに座りこみ、弁当つつきながら桜をじっと眺めていると、この花弁の密集はほんとうに桜色なのか。灰色じゃないのか。と、分からなくなってきて疲れる。しかも騒がしくてごみごみしいし。せっかく桜なんだから美しいところを見つけようと思ってしまうと、それはもうぐったり疲れる。
桜ってむつかしい。帰宅してホッと一息つき、おやつに食べる蜂蜜トーストのほうが、案外春めいているかもしれない。
花守やいらつしやいませこんにちは 同
流し来ぬいらつしゃいませこんばんは 同
あ、ハイ! こんにちはこんばんは。えへへ。
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春かなし下駄箱の名札みな剥がされ ハードエッジ
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名札シールを剥がすと、木製の下駄箱に跡が残る。糊が多いと紙が貼りついたままになってしまうのだ。そのびりびりの白さを見て、かなしいと言う。
クラス替え、卒業の季節だからでなくて、シールの剥がされた白さが無残だから、かなしいんだろう。春は疎かになりやすい季節だ。
ソーダ水深きところを吸はれけり 同
ソーダ水を吸うのでなく、ソーダ水が吸われた。向かいに座ったひとの様子を見ているのかなと思う。飲みはじめてしばらくすると、氷が融けるので浅いところは水っぽくなるのだ。だから深いところにストローを潜らせ、吸う。どんな会話をしているんだろう。
昼寝子に髭なく猫に笑窪なく 同
昼寝している子どもには笑窪があり、そばに寝そべっているのだろうか、猫には髭がある。ほほえましい光景。にんげんとそれ以外を行き来する句が多いのかな、と思う。
(つづく)
2012-11-25
【落選展2012を読む】その1 楢山惠都
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