2012-11-25
朝の爽波 43 小川春休
43
さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十六年」から。今回鑑賞した句は、昭和56年の夏の句。「青」6・7月号にて『湯呑』特集を連載、6月7日には出版記念会を催しています。この明るいニュースの影で、「青」は6月号から編集部が田中裕明ただ一人となっています。大丈夫なんでしょうか…。
手に軽く握りて鱚といふ魚 『骰子』(以下同)
普通鱚(きす)といえば白鱚のこと、背は淡黄色、腹部は銀白色で、浅海に棲息し、上品な淡味が喜ばれる。そのすらりとした流線形の姿を軽く握る、その手は板前のものであろうか。これから調理が始まる瞬間、繊細な手の動きと美しい鱚に、自然と期待が高まる。
川床つづくぽつかり開いてまたつづく
川床(ゆか)とは、納涼のため川に突き出して設けられた桟敷。二条から五条にかけての鴨川西岸沿いに設けられ、祇園祭や大文字の頃特に賑う。一句の眼目はずらりと並んだ川床の長さ。その切れ間には川の瀬も覗き、明るく伸びやかな景を展開している。
玄関のただ開いてゐる茂かな
夏も深まると、木々は鬱蒼と茂ってくる。茂りの先に見える玄関は、何か目的があって開けてあるという訳ではなく、ただ開け放たれ、ぽっかりと暗い屋内を覗かせている。戸締りのことなど誰も気にかけない、自然に囲まれた山村の暮らしが静かに息づいている。
女やや著崩れて瀧拝みをり
滝が季語となったのは近代になってからのこと。華厳・那智などの雄大な滝も山道の脇の小滝も滝には違いないが、「拝む」と言うからにはやはりそれなりの規模と謂れのある滝と思われる。女の着崩れに、滝に至るまでの山の道のりの長さと艶のある涼を見出だす。
日の盛り左近の桜そよぎをり
紫宸殿の階段の下、東方に植えられている左近の桜。季語である「日の盛り」から桜は青々とした葉桜。日盛りの静寂の中の葉桜のかすかな葉鳴りと、句中に多用されたさ行音の響きとが重なり、左近衛府の武官がこの桜から南に列したという往時の姿も思われる。
長き文読み終りたる茂かな
文を読み始める前も、読んでいる間も、茂りは存在していた。しかしそれを受け止めるアンテナである目が文に集中していたせいで、目に入っていなかった。文への集中、そして読み終えた瞬間に文から解放される視線。そのとき、周囲の茂りの存在を再認識するのだ。
杉暗き下を運ばれきたる鮎
万葉時代から賞美され、釣りや鵜飼などによって漁獲されてきた鮎。一種独特の香りがあることから香魚とも書く。大きな杉が作る暗がりに、闇の梅のごとく、視覚の効かない場所では嗅覚等の他の感覚が強く意識される。鮎の香りと、山の草木や土の匂いを感じる。
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