2012-11-04
朝の爽波 40 小川春休
40
さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十五年」から。今回鑑賞した句は、昭和55年の秋から冬にかけての句。11月には枚方に引越し、風邪で十日ほど病臥しています。「青」に昭和61年2月号から連載された文章の題「枚方から」の、あの枚方です。
朝月の歯切れよきかな菌山 『骰子』(以下同)
「歯切れよき」月と言うと、濁り無く白い月の姿が、綺麗に晴れた秋の朝空の透明な青に、くっきりと残っている様が目に浮かぶ。菌山もまた朝の光を受け、ところどころ紅葉したその全容を見せている。随所に配されたか行音が、句の響きをも歯切れ良くしている。
ヨットの帆近く来てゐる松手入
十月頃、松の古葉を除き、形を整える。海へと目をやれば、晴天の秋の日差しを受け、白く輝くヨットの帆が目に飛び込んでくる。この「近く」は、具体的な距離というより、驚きを伴った心理的な近さ。松の緑とヨットの白、そして海と空のそれぞれの青と。
お十夜の降らず照らずに一口村
難読地名である一口村(いもあらい)、一説には昔、高僧が洗った芋を一口でぺろりと食べたことに因むのだとか。十夜の法要の、はっきりしない空模様が、少し不思議な地名と合わさって、独特の印象を生み出す。口に出すとリズムも良く、心を弾ませる句だ。
初猟の即ち坂を下りゆけり
地方や動物の種類によって猟の解禁日は異なるが、十一月中が多い。猟銃を肩に、猟犬を伴った狩猟家が山野に繰り出す。中七にスピード感があり、俊敏な動作と猟へと逸る心情がありありと見えてくる。坂を下った先は、鴨や水鶏などの水禽類が潜む水辺だろうか。
目貼して出でゆく少し反り身かな
住環境の改善によって、目貼という季語も懐かしさを呼び起こすものとなってしまった。目貼が必要な家というと、古く、それほど立派ではない日本家屋を思う。反り身で出てゆく男は、誰にともなく威張っているようで、これもまた旧い世代の男を思わせる。
炭斗と固く絞りし雑巾と
炭斗(すみとり)は炭俵から小出しにした炭を入れておく器。炉のほとりに置いて用いる。雑巾は、炉の周囲の灰などを拭くためのものであろう。固く絞られた様が小気味良い。炉のほとりの炭斗と雑巾だけを述べて、その部屋の佇まいまでしっかりと想像させてくれる。
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