2013-01-27

【週刊俳句時評76】 続・闘われているらしい 上田信治 

【週刊俳句時評76】

続・闘われているらしい
 
上田信治




前号の時評は、ゴシップネタでしたが、なかなかの反響でした。

ツイッター上で、翌朝からなんだかんだ対話が行われましたので、こういう場合のお作法として「まとめ」を作りました。

お読みいただくと、かなりの疲労をおぼえられると思いますが、まあ、面白いは面白いです。うたた人の世というものは……という感慨にひたれます。

今回の時評は、いただいた反響への「落し前」です。

まとめ




「まとめ」の前半は、2013年版『年鑑』「世代別収穫 40代」と『俳句』1月号の「時評」について、執筆者である櫂未知子さんの意図(あるいは意図の不在)を忖度する内容です。

立場で発言している人は、なんとなく分かります。
——と、言うにとどめましょう。

『年鑑』については、当事者の一人である @R_Takayamaさんの

「田中裕明賞を受賞した句集から句を挙げないというのは、年鑑の公器としての性格を蔑ろにしたと言われても仕方がない。」

 という発言に尽きると思います。

豈Weekly終刊に際して、自分は、こんな後記を書きました。
「いま振り返って思うのは、あそこに書いていた人たちはみんな、俳句全体を相手にしていたなあ、ということです。
それは、俳壇をむこうにまわして立ち回りを演じるというようなことではなく、まして「これこそ俳句の全て」とドグマを振りかざすことでもない(高山さんは「澤」に寄せた小論に「本質論ではなく」というタイトルをつけた人なので)。
立場を守って発言すればたちまち「政治的」になってしまうような、この島宇宙的に分裂した状況下で、「豈 weekly」にあっては(ちょっとは政治もあったようだけれど)、おおむねいつも、分裂など無いかのように、全体としての俳句が目指されていた。ぼんやりとしか言えないのですが、そういうことです」
何かを隠したり無かったことにすることは、読者ではなく、自分の目をふさぐことでしかないでしょう。

それは、櫂さんと俳句全体との関係を痩せさせてしまわないのだろうか、と、いたって常識的な危惧を述べて、このことは終わりにします。



後半は、『俳句』の時評で取り上げられた神野紗希の〈コンビニのおでんが好きで星きれい〉の句についての応酬です。

昨年、第一句集と冠した『光まみれの蜂』を上梓した際、「詩客」に外山一機さんが、非常に辛辣な評を書きました。

俳句時評第66回 何の「値打ち」もない-神野紗希句集『光まみれの蜂』

この時評を読んだ時、あまりの全面否定に驚くと同時に、自分のひそやかな欲望(後述)を言い当てられたような気がしてぎょっとしました。

というのは、自分も、ミニマガジン「子規新報」の求めに応じて、句集全体に賛成なわけではない、という内容の短い鑑賞を書き送っていたからです。
カニ缶で蕪炊いて帰りを待つよ

あなたの作品の人間的な健全さや平凡さを、そのまま、その通りには受けとりたくないという気持ちが、自分にはあるのです。作中主体の人としての「いいところ」それ自体が、作品が目標とする価値となっているように見える。そのことに、どういう意味があるのだろうと思ってしまうのです(きっと、僕の性格が悪いだけなのでしょうが)。かといって、署名ナシでも上出来といった句があなたの本線だとは思えない。幼さをさらけ出すことを恐れないことの方を、あなたの作家性だと思わざるをえないだけの、作品の積み重ねがあるからです。〈コンビニのおでんが好きで星きれい〉(口語俳句ならではの切れの成功例だと思います)に比して、〈カニ缶〉はあまりに直球というか棒球で(穂村弘のいわゆる「棒立ちの歌」なのでしょうか)自分には後退と見えるのですが、〈帰りを待つよ〉のぎくしゃくした句またがりに託されているものもありそうで、あなたの今後の、とりわけ口語作品の展開によって、真価が明らかになる句なのかもしれない。自分の不明の証拠として、こうして書いておきます。(「子規新報」2012年9月20日発行号)
そして、今回の、@mnea2bさんの執拗な攻撃、@rockets_yamadaさんのアンビバレント丸出しの態度、@tajimakenさんの、なんでしょう、憎しみ? これらを見るに。

「神野紗希」の現在のあり方には「否定」の欲望をかきたてるものがあるようです。

下世話な話ですが、神野さんの作品の多くのものが強力な「モテ俳句」なので、ある種の男性は、身構えるように「その手にのるか」という反応をとってしまう。

まあ、なんて言うんでしょう、そんなところで「いい男」ぶってしまう。女性の方は笑って下さい。

「モテ俳句」とはなにか、と言えば、上にも書いた「作中主体の人としての「いいところ」それ自体が、作品が目標とする価値となっているように見える」作品のことです。もっと言えば、作者に対する好感こみで、成立する作品。

@mnea2bさんは、たとえば〈コンビニ〉の句がUさん(中年男性)の作品だったとしたら、「絶賛」の「逆の印象になるだろう」と、言いたいらしい。

もし、ある句にそういうことがあるとしたら、それは「モテ俳句」 だと言えるでしょう。そして、多くの場合「モテ」は、異性同性どちらに対しても効力を発揮します。

ツイッター上で、「幼さ」「女性性」「ネオテニー」といったキーワードで言われていたことは、要するに「カワイイ」と「モテ」で、やっていこうとしているみたいだけれど、それってどうなの、ということなのでしょう。

自分は、そこは是是非非です。〈コンビニ〉句は、中年男性Uさん作でOKだし、俳句は(最後は)内容ではない、と思うので。

虚子の有名な「思想の上からは大概なものは採る。非常に憎悪すべきものは採らない。措辞の上からは最も厳密に検討する」(『虚子俳話』)という言葉の通り、言葉がおもしろく運動していればそれは良い俳句。表現されているものが「幼さ」であろうと「女性性」であろうと「モテ」であろうと。

もっとも、虚子の言葉は「先ず私は俳句らしいものと、俳句らしくないものとを区別する。その思想の上から、またその措辞の上から。」という一節につづくものなので、ある人たちは、〈コンビニ〉句の措辞、または思想を、「俳句らしくない」ものとして「非常に憎悪」するのかもしれません。

(はじめのほうで@mnea2bさんが誤解しかけたような「俳壇事情を暗に」含んだ話だったら、怖すぎます)



さて、以前「テン年代の俳句はこうなる私家版「ゼロ年代の俳句100句」」というミニアンソロジーを作った際、自分は、今後10年の俳句の方向を占うキーワードのひとつとして「私性=ノーバディな私による「私」語り」という項目を立てました。

「ノーバディな」という語の斡旋がひとつの現状認識でした。

しかし、もっとサムバディな、「その人」性をともなった表現というものが、世代的特徴としてあらわれる・か・も・という可能性を、〈コンビニ〉の句へのネガティブな反応から、逆に感じました。

新しさは、直近の過去に対する斥力から生まれるものだからです。

茶色い毛糸の帽子に込める今年の耳 佐藤文香「週刊俳句」新年詠
許したい許したい毛糸玉青い 神野紗希「俳句」1月号
官庁街万の自死者を淑気とす 関悦史 同

まだ、多くの成功例があるわけではありませんが、「この」私であることへの了解を要求するような書き方が、模索されているのではないか。それは、おそらく、「らしくない」経験、「らしくない」感情、「らしくない」言葉遣いの、俳句への性急な(つまり私的な)持ち込み、という形でなされるでしょう。

それら全ては、ここしばらくの何かしら(まあ、正式さ?)への反動であるに違いなく、だとすれば、それが、ここしばらくの俳句の顔の一人であった櫂さんを、苛立たせるのは当然ではないか。

と、いうようなことを、だいぶ無責任に思ったりしました。



神野さんは、先述の外山さんの句評が出たあと、即座にツイッターに「外山くんが嬉しい句集評書いてくれました。さすが同世代、分かってる。」と、書いていました。

ぎょっとしました。

この反応が、天気さんの言う「黒紗希」 ちゃんってヤツなのかもしれません(そうでないかもしれません)。

どちらにせよ、このど根性を見るにつけ。

一連の否定や風当たりへの返答は、その反応を引き起こした方向への、さらなる一歩をもって、なされるのではないか。

と、そういうことも思いました。

6 comments:

葉月 さんのコメント...

>〈コンビニ〉の句がUさん(中年男性)の作品だったとしたら、

「甘え上手な若い女性を眺めてかわいいなあと思っている」俳句に見えたり「(どいてお兄ちゃんそいつ殺せない)という七七が付く人工的(二次元的?)な非実在青少年系俳句に見えたりしそうな気がしました。

青山茂根 さんのコメント...

これは、実際の発言を意図的に排除し編集されており、捏造による内容を含んでいますので、当該記事の抹消を要求いたします。お返事は直接メールアドレスへお願いいたします。俳句に関する場が荒らされてしまうのを避けるためです。 青山茂根  

西原天気 さんのコメント...

青山茂根さん、こんばんは。

週刊俳句に向けてのコメントと解し、わたし天気(週俳の発案から創刊、こんにちまで運営をしています)が書き込ませていただきます。

返事は「直接メールアドレスへ」とのご指示ですが、ここでよろしいのではないですか?

この件に関して、私は、オープンに読者の目に触れるかたちでしかコメントしません(他の運営者のことはわかりませんが、少なくとも私は)。

「俳句に関する場が荒らされてしまう」とのお気遣いは大変ありがたく感謝いたしますが、荒れる・荒れないは、コメントを書き込む方の品位や見識次第だと思います。そのあたりは信頼しての運営しております。

ですので、私は、ここでお答えや説明をさせていただきます。それでよろしいですか?

Luna IKEDA さんのコメント...

上田さんお久しぶりです。
昨日から気になってをりましたがお腹痛かったので早めに寝てしまいました。元気になったので「コンビニ」の句についてのあれこれ通読しました。

>今回の、@mnea2bさんの執拗な攻撃、@rockets_yamadaさんのアンビバレント丸出しの態度、@tajimakenさんの、なんでしょう、憎しみ? これらを見るに。

とありましたが私はそうした(執拗な攻撃・アンビバレント・憎しみ)といった印象は受けませんでした。お三方ともに、極力理性的にお話をすすめられているように思います。
言葉選びについては、私など申すまでもなく確かな感覚をお持ちの筈の上田さんらしくもないおっしゃり方だな……、と感じたのですが、いかがな物でしょうか。

L さんのコメント...

そして神野さんには申し訳ないのですが私自身は「コンビニのおでんが好きで星きれい」という句の良さが今までピンとこなかったのです。が、まとめに出て来た「どいてお兄ちゃんそいつ殺せない」の七七を付けた形で読み下したら突然魅力的なフレーズに思えて来ました。では今日はこの辺で。

L さんのコメント...

さっきのLというのはLunaIKEDAです。なぜか途中で送ってしまいました。すみません。