【週俳1月の俳句を読む】
新年詠の謎を探るしなだしん
この間年が明けたと思っていたら、いやはや、もう立春まぢか。はやも一か月前になってしまった2013新年詠のなかから幾つかの句の「謎」に迫ってみよう。
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元日の体育館から籠の音 上野葉月
まず「元日の体育館」という設定に意表をつかれた。この体育館は学校か、何かの施設か…。だがそれよりもっと謎なのは「籠」だ。籠とは何かを入れるあの籠のことか。「籠の音」からは竹等の材料で作ったものをなんとなく想像して、体育館で竹籠を編んでいるのか…などと考えた。さまざま考えを巡らせたあと、体育館との関連を想像しなおして、ひとつの「籠」に思い及んだ。あぁ、これは「籠球」のことか、と。
元旦は朝を指すが、元日はそのいちにちのこと。元日の午後あたりだろうか、正月返上でのバスケットボールの練習かもしれない。スリーオンスリーくらいの軽い遊びのレベルとも想像できる。いずれにしてもゴールである「籠」へバスケットボールが何度も吸い込まれる。その度に「籠」は何ともいえない、気持ちのいい「音」を響かせる。
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初夢になにかの店でなにか買う 久留島元
さもありなんと思う。初夢の中で何かを買う。買ったことはなんとなく思い出せるが、どこで何を買ったのか、その前後の脈略も全然思い出せない。どうでもいいと思いながらも、気になってしかたがない。私などは何十年も初夢の内容を覚えていたことがないが…。
掲出句は「初夢」の句として驚きはない。だが驚くようなものを大げさに詠う初夢が多いなかで、この句の具体性がないところに、逆に真実味と手触りを感じたりする。
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別れゆく我もゾケサや初明り 関 悦史
一読、普通に「ゾケサ」に引っかかった。「ゾケサ」とは何ぞやと。だがどこかで聞いたことがある言葉であるような…。手掛かりは上五にあった。「別れゆく」「ゾケサ(ぞけさ)」…これは「蛍の光」だ、と思いつく。
「蛍の光」の1番の歌詞は以下の通り。
蛍の光、窓の雪 書読む月日、重ねつゝ
何時しか年も、すぎの戸を 開けてぞ今朝は、別れ行く
少なくとも私が「蛍の光」を習ったのはたぶん小学1年で、当時は意味も分からず、ひらがなで覚えた。意味も教えられたのだろうが、普通に忘れた。漢字の入ったこの歌詞を見ると、あぁそういう意味だったのか、などと改めて感心したりする。
掲出句の「ゾケサ」は「開けてぞ今朝は」の「ぞ今朝」の部分だろう。たかしに「ぞけさ」にも、他の部分のことばにも引っかかりを感じながら歌っていたような気がする。ちなみに私は「杉の戸を」は「過ぎのとう」、つまり(いつしか年も)とうに過ぎた、ということだと信じて疑っていなかった…。
「蛍の光」は年に一度、紅白歌合戦で聞くくらいになった。だが年の終りに聞く「蛍の光」にはほのかな感慨を感じたりする。この句は「ぞ今朝」を「ゾケサ」とカタカナにして名詞のように使い、違和感を可笑しみにしている。
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嫁が君噛む吸ふ齧る突く舐める 中嶋憲武
幾つもの意味で読めて、想像が膨らむ。鼠の行動としての「噛む吸ふ齧る突く舐める」。だが鼠は吸ったり、舐めたりするものだろうか。一方、上五で切れていると読むと、「噛む吸ふ齧る突く舐める」は作者の動きとなり、三が日の食積とも想像できて、改めて動物は食べて生きてゆくのだな、などと感心したりもした。だが、ここでも「突く」に疑問が残る。「噛む吸ふ齧る」は口の動き、「突く舐める」は舌の動きに思える。「嫁が君」という言葉からかもしれないが、エッチな感じにも読める。特に下五。
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喫茶よたろう正月の海よく見えて 西村麒麟
この句のポイントは「喫茶よたろう」という名称の面白みだろう。ネットで「喫茶よたろう」を引いてみると、幾つかの記事で尾道に行き当たった。尾道にこの名の店があるようで、海が近いらしい。この句がその店かは分からないが、海が見える「喫茶よたろう」の店内の様子や主の人となりなどを想像するのも楽しい。この「正月の海」からは窓枠に収まった、晴れ渡った空も想像できる。
第298号 2013年1月6日
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第299号 2013年1月13日
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