2013-02-03

俳句の自然 子規への遡行12 橋本 直

俳句の自然 子規への遡行12



橋本 直     
初出『若竹』2012年1月号
(一部改変がある)
≫承前  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11


引き続き、子規の病とその句作について検討する。『寒山落木』では、子規が言葉として「脳病」を詠みこんだ句は、前回の最後に引いた「脳病の頭にひゞくせみの声」(明治二十四年)のみであるが、他に「脳」を詠んだ句が二句ある。

  秋風や脳味噌くさる芥子坊主 明治二十六年

  砂原や脳巓暑く眼眩む    明治三十年

後の句は情景の実感ありのままのようだが、興味深いのは前の句である。いまでも俗に用いられる「脳味噌くさる」という言い方が既にあったのが面白いし、それを子規がそのまま俳句に詠んでいることも面白い。この言葉の使い方が今と全く同じだったのかは未詳であるが、前回書いたように、当時気軽に使われたという「脳病」と、この俗言の現在の使われ方を考えると、脳が主体が通常と考えるレベルより能力が落ちているという意味では共通しているだろう。

ところで、この「脳味噌くさる芥子坊主」は、素直に読めば芥子の実は夏の風物であるから、秋風にその朽ちた姿をさらしているのを詠んだものととるのが妥当だろうが、その「脳味噌くさる」の俗言の意味のため、「芥子坊主」の二つの意味が活きてしまい、腐った芥子の実の比喩とも、頭のよくない子どもの髪型のことを喩えているとも読めてしまう。

さらに、「脳」の類語として、「頭」の句にもあたってみると、以下の七句を見出せる。
頭痛する其夜は犬にかまれけり 明治二十四年

花に酔ふた頭重たし春の雨   明治二十五年 

花に酔ふた頭重たし春の風    同(別案) 

花散て此頃はやる頭痛哉    明治二十六年

行く春を鉢巻したる頭痛かな  明治二十七年

蝉鳴て殘暑の頭裂くる思ひ   明治三十年

花に酔ふて頭痛すといふ女哉  明治三十一年

まず、冒頭の無季句は、藤野古白からの書簡への返信として「筆まかせ 第四篇」に「発句の返事」と題のある抜き書き中の一句である。「『此頃ハ脳を打なやまれ候とかきゝ及び候 昨今如何にて候や』との御申越ニ対し返事シテ曰ク」とあって書かれているから、句のみを返信としたものの覚え書きのようである。私信かつ返事ゆえか、季語もなくメッセージ性が強い。さらに文面からただの頭痛ではなく「脳病」に関わってくるものと考えられる。この「犬にかまれ」は、事実ではなく痛みや精神状態の比喩であろうが、何か「狂犬病」をも連想させるような不吉な詠みぶりであり、痛み、苦しみが強く感じられ物狂おしい。この句から子規の得意とするはずのユーモアをくみ取ることは難しいだろう。

ここで、古白に少し触れておく必要があろう。藤野古白(本名潔)は、子規より四歳年少の従弟で、母十重は子規の母方(大原氏)の叔母。父の漸は旧松山藩主久松家の家令。子規が書いた『古白遺稿』「藤野潔の伝」によれば、古白は幼少の頃から神経過敏な性質であった。明治二十八年にピストル自殺。明治二十二年には短い期間だが、神経病で巣鴨病院に入院しており、この時子規は古白を見舞い、その報告を叔父大原恒徳に書き送っている。そこで担当医師と話した折、「外戚に遺伝ありといふ故如何や」と言われ、そのようなことは記憶にないがどうなのかと問いただしている。恒徳の返信は不明だが、おそらく子規は、遺伝というなら自身にもそういう気質があるのではないか、くらいは思ったであろう。 後年、子規は恒徳宛に「私も先月末頃脳病(憂鬱病ノ類)ニ罹り、学科も何も手につかず」云々と書き送っている。

以来、子規は古白に俳句を教え、二人は頻繁に手紙をやりとりしていて、先の頭痛の句はその中の一つである。このような事情をふまえて見直すと、尋常ならざるやりとりとも見えよう。内容も尋ねられたことへの返事とは言え、心を病んだ経歴をもつ年少の従弟に対し、それを分かった上で送った言葉としては、衝撃が強いものに思われる。果たしてこれは子規の表現者としての凄みなのだろうか。あるいは同じ思いを色々共有できる同じ年頃の肉親という意味で、古白を自分の鏡像のように感じていたからなのかもしれない。

子規は古白の死後、自身の病軀をおして無理に遺稿集をまとめており、碧梧桐や服部嘉香(詩人・国語学者。子規、古白と縁戚関係)らは、そこに子規の悔恨をみているが、分身としての古白への愛惜もあったのではないかと思う。

次に、「蝉鳴て殘暑の頭裂くる思ひ」について。この句は、明治三十年九月三日の「病床手記」に記されている。六年前に詠んでいる「脳病の頭にひゞくせみの声」と同想の句だと言っていいだろう。病の進行によってか、曖昧さをもった「脳病」ではなく、率直に実感の読みとれる表現が選ばれている。

また、「花」と「頭痛」や「頭重」の取り合わされた句が七句中四句と目立っている。例えば、業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」のように、桜がそれにひきつけられる人心を惑わせることは和歌にも詠まれるが、子規は、花に酔った後の後遺症のようなものとして「頭痛」「頭重」を詠んでいる。とすると、先の古白宛の書簡の句でそうであったように、これらも「脳病」と関わるものと考えて良いのかもしれない。後代には、桜花は狂気をはらんだものとして、梶井基次郎『桜の樹の下には』、坂口安吾『桜の森の満開の下』などで描かれるが、子規は先んじてそれを句に詠んでいるとみることもできる。なお、「行く春を鉢巻したる頭痛かな」は「井上内相の引籠」と前書きがある時事句であり、他とはやや質を異にする。

(つづく)

0 comments: