2013-04-21
朝の爽波63 小川春休
63
さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十九年」から。今回鑑賞した句も、引き続き昭和五十九年の秋の句。九月、「青」東京句会の鍛錬会のため畑毛温泉へ行っていますが、さて、そのときの句は今回鑑賞した中に含まれているのでしょうか。
さし上げて降らす大如露秋の昼 『骰子』(以下同)
如雨露で花木に水をやるにも、やり方はさまざま。土から出たばかりの双葉などには優しくするが、掲句はなかなか思い切りの良いやり方。しっかりした茎を持った桔梗などの秋の花に、高みから水をたっぷりと降らせてやる。秋の真昼の日差しに、水が眩しい。
艶ばなしさらりとありし地蔵盆
八月二十四日は地蔵菩薩の縁日で、この日を中心にした祭が地蔵盆。地蔵盆は子供を中心とした祭なので、この「艶ばなし」は子供らを見守る大人たちの間でのこと。艶ばなしにはその人の人柄が出るが、「さらりとありし」はどことなく粋で、好感が持てる。
星月夜愛されずして犬飼はれ
飼い始めた頃はそうではなかったのであろうが、今は飼い主の愛情に恵まれず飼われている犬。飼い主一家が団欒の時を過ごす家の外で、ひとり寝そべる犬の姿は切ない。爽波はこの年の夏に十六年飼った愛犬を亡くしている。この犬を、亡き愛犬と重ねあわせたか。
新涼の校正仲間揃ひたる
恐らく、爽波の主宰した「青」の編集風景。校正は、地味なようだが非常に大事な仕事、そして大変骨の折れる仕事。秋の涼の中に校正仲間が揃い、よしやるぞという気概が伝わる。率直に気持ちの張りの出た句で、俳誌の編集が好きだったんだろうなぁとしみじみ思う。
簀戸洗ふ手について足よく動き
葭簀をはめこんだ簀戸を夏の間襖や障子の代用にする。涼を呼ぶ夏の調度だ。暑さが去ると、その年の用を終えた簀戸を洗って仕舞う。洗う手につれて動く足は、洗う当人には無意識の動きではあるが、いかにも生き生きと動作が見え、簀戸の大きさも見えてくる。
大夜学校掃除夫ら待機せり
年中行われているが、灯火親しむ夜長の候は落ち着いて勉強するのに適しているとして、秋季とされる夜学。「大」が付くぐらいなので、多くの学生を擁する専門学校などか。夜学の講義が終われば、夜学校の清掃という夜業が控えている。生活感のある、現代の景だ。
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