66
さて、今回で第三句集『骰子』も終わり。第四句集『一筆』に入ります。『一筆』の刊行は平成二年十一月、昭和六十年から六十三年の句を収録。なお爽波は、この刊行のほぼ一年後、平成三年十月十八日に没しています。『一筆』のあとがきはこれまでの三句集と比べてもかなり簡潔。恐らく爽波自身は、この先『骰子』『一筆』ぐらいのペースで句集をコンスタントに出していくつもりだったのでしょう。この先の自らの句作、句集へと意識が向いている様子がはっきりと窺われます。
『一筆』は『鋪道の花』『湯呑』『骰子』に続く私の第四句集である。
昭和六十年から六十三年までの四年間に「青」に発表した約千二百句から三百七十五句を抽いた。
相変わらず「多作多捨」に徹して励んでいるが、これによって如何に技に磨きをかけ得るか、またどれだけよき出会い、偶然に恵まれるか、自力を超えた他力を引き出し得るかなど、道はなお遠いと言わざるを得ない。
句集刊行に当たっては小島欣二氏にお世話になった。厚く御礼申し上ぐる次第である。
(波多野爽波『一筆』あとがき)
いつも留守足袋を一つか二つ干し 『骰子』(以下同)
元々の防寒具としての性格から冬季とされる足袋。白木綿や化繊の白足袋や、繻子織りの黒足袋などがあるが、掲句の足袋はあまり上等な物とも見えず、洗い晒しのよれよれの足袋という印象。その住まいの佇まい、足袋の主の面影まで色濃く想像される句だ。
棧橋の下を見よこの懸大根
沢庵漬などにする大根を干す懸大根。懸大根でも掛稲でも、要するに掛けられる場所ならどこでも可能なので、創意工夫によって思わぬ所にも掛けられる。桟橋の下に懸大根を発見した驚き、それを仲間に伝える気持ちの弾み、吟行の様子がそのままに見えてくる。
ここから『一筆』に入ります。
春着の娘骰子(さいころ)投げて渡すとは 『一筆』(以下同)
かつて、正月は家庭内でも春着を身に着けた。見た目ばかりは晴れやかな春着の娘だが、乱暴な振舞いは双六の興が乗ったせいか。「とは」に軽い驚き、呆れの心情が窺われるが、時期的に在原業平の「水くくるとは」とのギャップも浮かび上がる。
春着の娘たうもろこしを手にしたる
「手にしたる」という描写から思い浮かべるのは、決して力の入った鷲掴みなどではなく、手を添えるようにしてゆったりと自然に持つ様子。春着ならではの手つきだ。とうもろこしの明るい黄色と白い手と、さて春着は何色だろうかと想像するのも楽しい。
●
0 comments:
コメントを投稿