【週俳5月の俳句を読む】
「象」を読む
三島ゆかり
菊田一平『象』を読む。春の十句がスナップショットのように並ぶ。一句一句のでき不できよりも、写真機の性能にも似た俳句製造機械・菊田一平の高品質こそが世に問われるべき句群なのかも知れない。
戒めの縄目あらはに桜の夜 菊田一平
なんの「戒め」なのかはあえて伏せることによって、おそろしく黒々としたものを感じる。「桜の夜」が絶妙なのだろう。
横たへて長し艇庫のオールの柄
二句一章にして一物仕立てである。菊田一平の句には、十七音をたっぷり使ってひとつのことを描写する句が多い。最後の一音「柄」に着地するまでの長さが、句の内容にマッチして格別である。
義士祭の組んで平たき肩と肩
「組んで平たき肩と肩」は余分な肉のない男性同士ならではの感慨なのだろう。実際に義士祭の光景なのだろうが、それ以上にこの「義士祭」は効いている。
のどけさの龍角散は硯の香
「龍角散は硯の香」だけでできてしまっている。このような場合に、ことさら二物衝撃を強調するやり方もあるが菊田一平のテイストはそうではない。ためしに「のどけさや龍角散は硯の香」としてみると、たちどころに他の九句から浮いてしまう。
満ち干きの潮に戦げり石ぼたん
これも二句一章にして一物仕立て。「石ぼたん」は磯巾着の異名。
音立てて雨が苺の花に葉に
季語は「苺の花」であるが、桜の場合の「花は葉に」という使い古された言い回しをも思い起こさせる「花に葉に」が効いている。マクロレンズのようにがばりと対象に近づくことによって、まさに音が立つのである。
にぎやかにしやがみホームの遠足子
「遠足子」などという古風な言い回しながら、「にぎやかにしやがみ」は昨今の小学生を捉えて過不足ない。
引退の象に手をふり蝶の昼
「引退の象に手をふり」の後はじつは何だっていいのであるが、ここでもことさら二物衝撃を強調するやり方を回避している。さらにいうと、切れ字も回避している。今さらのようにいうと十句すべて「や」「かな」「けり」を用いずに世界をまとめている。そうした中で「手をふる」と連体形にせず「手をふり」と連用形にすることで曰く言い難い調子を整えている絶妙さに舌を巻く。
洗車機の泡の輝き聖五月
「洗車機」という固い響きに対し、頭韻を踏んで同じく固い響きの「聖五月」を照応させている。「洗車機」と「輝き」のkiも響き合っている。
水槽の空いつぱいに水母の子
「空いつぱい」が眼目だろう。うす暗い水族館から見上げる巨大水槽には光が満ちあふれている。
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