小川春休
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猫の尾の夏書机に立ちにけり 『一筆』(以下同)
夏書(げがき)とは、夏安居中に経文を写すこと。当然その机は、椅子を用いる洋風のものではなく、文机とでも呼ぶべきもの。机の脇にぴーんと立った猫の尾からも、机の高さが見えてくる。猫の様子からは、夏と言ってもまだ涼しい、朝の時間帯が想像される。
水を打ち打ちて辛夷の木に至る
一つ目の「打ち」は、単純にその場所で水を打ったという意だが、続けて「打ちて…至る」とあることで、その動作が幾度も繰り返され、少しずつ移動して行ったことが読み取れる。そうした時間の経過をたっぷりと内包しながら、ゆったりと大らかな印象の句。
寺にゐてががんぼとすぐ仲良しに
「寺にゐて」とは、法事や法要などの何らかの目的があるのではなく(もしくはそれらが終わった後に)、ただ寺にいる状態。ぽっかり空いた無為な時間であればこそ、ががんぼと仲良しにもなれたのであろう。身ほとりをよたよたと飛ぶががんぼが愛らしい。
甚平や鳶や鴉の空の下
木綿あるいは麻製で、軽快で風通しの良いことから、夏の間の室内着として用いる甚平。室内着と言っても、当然庭や近所ぐらい出ることもあるが、家を一歩出れば空も風も紛れもなく大自然の一部と気付く。「鳶や鴉の」と畳み掛けて、空の広大さを生き生きと感じさせる。
夕べ干し投網は鼻をつく匂ひ
川魚を一挙に獲るのに用いる投網。そうした漁法を川狩と言い、夏季としている。漁に用い濡れている間でも臭いはあるが、干して乾きかけの状態になるとさらに凝縮された臭気を放つ。時刻は夕暮から夜へ移り変わりゆく頃、生々しくも生活感を感じさせる臭いだ。
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