2013-07-21

【週俳6月の俳句を読む】とらやの水羊羹ほどの幸せ 馬場龍吉

【週俳6月の俳句を読む】
とらやの水羊羹ほどの幸せ

馬場龍吉


ことしの夏も「夏」というくらいだからやはり暑い。
暑さと寒さは皆そうだろうがとくに嫌い。冷房の無い世界は考えられない。
そうすると暑い俳句は書けなくなるのだが。
そういうときは水羊羹でも掬って週刊俳句を読むに限る。


覺めぎはのかうかうとしろはちすのしろ   閒村俊一

ちなみに「かうかう」の正しい意味を探すのに検索してみると「カウカウ 当たり前体操」が出るから笑ってしまう。文語体に詳しくないのであれだが煌々とした光を表しているのだと思う。そして「雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸 邨」のオノマトペかと思われる。この「かうかう」が「煌々」なら「くわうくわう」と表記されなければならないのかもしれない。であるからしてここでは「煌々」の意味を持ったオノマトペと理解すべきだろう。

白蓮の白は空と水面をつなぐ白であり、あの世とこの世をつなぐ白である。昼寝覚めの朦朧とした目に映るものがこの蓮の花であったなら。一瞬あの世で目覚めたのかと錯覚しても不思議ではない。

閒村氏の十句は安心して読める大人の俳句だった。この「安心」は面白くないということではないのでご安心を。



残る鴨川面は錆の花の泡   石井薔子

どう読めばいいのかはわからないのだが惹かれる句だ。とくに「錆の花の泡 」にだ。

これが「花の錆の泡」では生活用水の流れる川のようだし。ここで「錆の花の泡」とあるところに錆色の水面に真っ白な泡が浮き立ってくる。都会に居る鴨の川はそれほどきれいな所は少ないはずで、それでも人里近くに居るのは何かあるのだろうか。



水無月の眠りと恋のはざまかな   秦 夕美

なんと乙女チックで素敵な一句なのだろう。やはりこういう句は若いときには書けそうで書けない。「水無月」「眠り」「恋」のそれぞれのワードは乙女チックのなにものでもない。しかし「水無月の眠り」から「恋のはざま」は並列されてはいるが繋がって意味を持ってくるのだ。〈あられもなき五体ありけり大夕焼〉までの十句に夢と現実が去来して楽しめた連作。



短夜の耳に隠れし淡路島   永末恵子

すんなりと読める俳句が多いなか、永末氏の俳句には一度読んで一呼吸おいて再読する努力を読者に求めるという要求がある。だがそれは決して使命感ではなく自然にそうさせるのだ。この一呼吸間をおく間に世界が構築す るのだ。「耳に隠れ」るのは耳に隠れて淡路島が見えなくなったということではない。昼間観て回った景色や波の音の記憶を反芻している脳のことだ。〈酢と塩とあとしらなみのほととぎす〉の断絶と連続もいい。



翡翠の川面の色をはがしけり   飯田冬眞

ぼくは野球に興味が無いので前半の句には興味がない。タイトルの「外角低め」があって、二句は野球のことを詠んでいるので夏の甲子園が詠んであるのかと思ったがそうではなかった。掲句の秀逸な把握がいい。下五の「はがしけり」で俄然翡翠のスピード感が出た。〈隅つこが好きな金魚と暮らしけり〉も部屋でいちばん安全な所に置かれているに違いない水槽の隅に居る金魚を不思議と思う視 線も俳人ならでは。


第319号2013年6月2日
閒村俊一 しろはちす 10句  ≫読む

第320号 2013年6月9日
石井薔子 ワッフル売 10句  ≫読む

第321号 2013年6月16日
秦 夕美 夢のゆめ 10句 ≫読む

第322号 2013年6月23日
永末恵子 するすると 10句 ≫読む

第323号 2013年6月30日
飯田冬眞 外角低め 10句 ≫読む

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