2013-11-17

朝の爽波92 小川春休



小川春休




92



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の盛夏の頃かと思われます。ここのところ昭和六十二年の夏の句をずっと鑑賞してますね。爽波さんも「わが詩多産の夏」だったのでしょうか。「青」に連載の「枚方から」、前回、七月号掲載分としてご紹介した「枚方から・吟行の心得(その二)」が実は八月号掲載分で、一月分ずれておりました。失礼いたしました。

帰省してその夜月の出遅くあり  『一筆』(以下同)

学生か、それとも就職して社会人となったか、久々の帰省の際にはいろいろと積もる話もあろう。食卓の上もいつもより賑やかに、遅くまで四方山話に花を咲かせたことだろう。句には月の出の遅さが述べられているばかりだが、様々に想像を遊ばせてくれる句だ。

贈とある金文字賤し日の盛

贈り物というものは、ささやかな物でも、贈る気持ちが一番肝心。しかるにわざわざ贈り物であると主張し続ける「贈」の金文字は、何とも鬱陶しく感じられる。『骰子』所収の〈冬ざるるリボンかければ贈り物〉と併せて読むと、作者の贈答への意識が見えてくる。

校正の済みて糸蜻蛉と遊ぶ

意識を原稿に集中させ、表記や意味内容まで吟味する校正。大抵長時間に渡る、骨の折れる作業である。その作業を終えた目に飛び込んできたのは糸蜻蛉。指を出したか、それともふっと吹いたか、「遊ぶ」という部分に、緊張から解き放たれた心の状態が窺われる。

川床遊び戸惑ひ顔のうつくしや

納涼のため川に突き出して設けた桟敷を川床と言う。元々遊興の色合いの濃い川床であるが、殊更「遊び」と言うことで、浮き立つような気分も伝わってくる。さて、一体何に戸惑っているのか知らないが、もう少し困らせてみたいようないたずら心を誘われる。

灯の下へ桃色日焼もちて来る

炎天下で働く労働者や練習に励むスポーツ選手の日焼けに比べれば、「桃色」の日焼けなど可愛いもの。わざわざ見せに来ているところからも、それが子供の行動であると読み取れる。「もちて来る」という言い回しからは、二の腕の袖の境目の日焼けが想像される。

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