2013-12-29

朝の爽波98 小川春休



小川春休




98



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の冬、初冬から年末の頃。〈伐りし竹積んで餅箱その上に〉という句に登場する竹は、時期的に考えると正月用の門松などを作ろうと積んであったのかもしれないと後から思い当たりました。「青」の昭和六十二年十二月号の「枚方から」は「休載の弁」、二年近く連載を続けていましたがこれにて一旦おしまい(ちなみに五年ほど後にまた「続・枚方から」が連載されます)。「枚方から」で作句法などの理念や思想を述べるよりも、「選後に」で「青」会員の作品に沿った解説をしていく方向へシフトしたようです。
(前略)月に百句と書いたが、私はいやしくも俳句を勉強して、身体で俳句なるものを覚え、自分なりにこれを噛み砕いて自分の血肉とし、将来への糧とするためには、月に百句ぐらいのことはまず最低限の線と考えている。
 「枚方から」の第一回にまず「瞬時の詩」と題して私の俳句観の一番基本にあるものを書いたのは、それなりの目論見あってのことである。
 いまそれをここに引用しようとは思わない。
 心ある方は昭和六十一年二月号を取り出してもう一度じっくりと読み返して貰いたい。
 ただ一言で言うとすれば、「もの」に対して瞬時に且つ反射的に対応できるような体質づくりを着々と勧めて貰いたいということになろうか。
 第二回以降に書き連ねてきたことは大ざっぱに言って、すべてそうある為には何を如何にやればよいかについて、私なりのポイントを示してきたものと受け止めて貰ったらよいかと思う。(後略)

(波多野爽波「枚方から・休載の弁」)
目の醒めるやうな黄の蝶大根引  『一筆』(以下同)

大根の収穫時期は冬、地中深くまで埋まっている大根を引き抜くのにはそれなりに技術を要する。冬に入ってからの蝶は、暖かな日にしかあまり飛ばない。その黄の鮮やかさも日差しがあればこそ。一瞬の鮮明な映像が、周囲の景まで臨場感のあるものにしている。

啼き立つる鵯の頭のへこみをり

秋になると、山に棲息する鵯は人里近くへ降り、民家の庭の南天や八手の実を啄ばみ、山茶花や椿の蜜を吸う。あまり人を恐れぬ性質なのだろうか。必死で鳴く鵯をまじまじと見入ると、嘴の動きに合わせて頭が凹む。どこか人間の赤子を思わせる不思議な生態だ。

伐りし竹積んで餅箱その上に

竹伐り自体は秋に行うが、掲句では伐った竹がそのままに積んである、農家の庭先などが想像される。餅搗きのほとんどの工程を屋外で行い、綺麗に丸められた餅が次々と餅箱に収められる。青々とした竹と餅箱の木の色と搗き立ての餅とのコントラストが鮮やか。

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