【週俳12月の俳句を読む】
目玉の話
中山奈々
飲み過ぎたせいかもしれない。あるいは、蒲団の温さと惰眠で誤魔化した尿素が全身に回ったせいかもしれない。とにかく顔が浮腫んでいた。その浮腫んだ中から、目玉が飛び出そうとしていた。これはまずいと思い、顔を水に浸す。洗顔出来るし冷やせるし。一石二鳥。こんなときまで、ずぼら。
卵割るやうに今年となりにけり 奥坂まや
ぽとんと落ちる。何か奇跡的なものが去年と今年との間にあるといつも思う。しかしそんなものはなくて、ぽとりと落ちるだけ。落ちるんだ。ぽとり。床に落としたらそのままワックスになりそうなどろっとした白身と、意地を張る黄身。命だ。生々しい命だ。そうだ。簡単にぽとり。爽やかにぽとり。なんて嘘だ。本当は生々しい命しかない。この世に宿ろうとする命がぽとり。
ぽとり。目玉が落ちた。水から顔をあげた瞬間に。いや。でも。今は裸眼だ。びっくりするくらい視力の悪い裸眼だ。水にぷかぷか浮かんでいるものが、目玉とは限らない。ほぼ目玉なのだが。右目とかっちり、目が合っているのだが。左目が明らかに暗いのだが。念のため、眼鏡をかける。ああやはり目玉だ。
サイコロの目の出る方に雪ばんば 柿本多映
サイコロにはいくつも目がある。ひとつくらい転がり出てもいい。そもそも目が出るのが仕事だ。その仕事の合間、赤い一つ目で雪ばんばを睨みつけたり、脅かしたりしても問題はない。しかしこちらは二つしかない。
蛇の目に鏡は眩し過ぎないか 柿本多映
眩しく感じるのは、切長の蛇の目だけではない。私の右目は優雅に浮かぶ左目の分まで光を受け止めなくてはいけない。眩しいし悲しい。
葉牡丹は瞬くことを知らざりき 柿本多映
開いたままで閉じることない葉牡丹は雨粒も霜も甘んじて受ける。そうか、私の左目も。瞼があると言えども、所詮は薄い皮だ。それを開けば空洞。雨粒も霜も溜まる空洞。
青写真なみだのうみにうみなりが 小津夜景
なみだが出てくる。そのなみだが空洞に溜まる。このなみだ、落とさぬようにしたほうがいいのだろうか。青写真を待つような気分でその場に立ち尽くす。一度空洞を触ろうか。その前に目玉を触るか。いや、焼き写しきれていない青写真のように歪んだらどうしようか。
狩りくらやメメント・モリをいねむりす 小津夜景
普段、寝転んで生活しているから元々ない足の筋力が更に落ちた。加えて、やはり尿素が毒素として体内を循環しているらしい。座り込む。体育座り。一番落ち着く。それが体育座り。いくら猫背にしても怒られない。それが体育座り。狩くらで獲物を待つのに最適な座り方。それは、、、体育座りではないな。眠たくなってきた。キャパをオーバーしているのだ。当たり前だ。目玉が落ちるなんて。脳をフル稼働しても対処出来ない。死生観を超えている。
超えてしまうと、人間はどうでもいいことを思い出すのだ。楽しかった記憶なんかすっ飛ばして、本当にどうでもいいことを。しりあがり寿が「ダ・ヴィンチ」に「メメント・モリ」という漫画を載せていたな、とか。あの主人公はいつも血色が悪かったな、とか。
着ぶくれてデモ隊一層非力なる 高崎義邦
血色の悪い主人公は着ぶくれても血色が悪い。そんな人たちがこのデモ隊の中にいる。あくまで着ぶくれなんだ。脂肪じゃない。筋肉じゃない。力に非ず。非力。彼らの目玉に光がない。
そうだ、目玉! と思い出して、ふらつきながら、洗面台を覗く。片目がないとバランスが取りにくい。バランスが取れていないのは普段からか。どうでもいいか、そんなこと。今はこの浮かぶ目玉をどうにかせねば。
山の池鬼が見詰めてゐて冰る 奥坂まや
家の中で良かった。寒波来ている外で落ちたならば、目玉ごと、たちまち冰っていただろう。水も目玉も冰らないのはいいが、このまま浮かばせておくわけにもいかない。そのうち土左衛門のように膨れてくるかもしれない。そうなるともう、なみだが溜まる一方のこの空洞には入らない。それに幸いに父は存命だから、この目玉を「父さん」なんて呼ぶこともない。髪が逆立っているが、これは妖気のせいではない。単なる寝癖だ。
昔話なら、山姥や鬼がちょいと摘まんで目の中に入れてくれるだろう。いや、食うかもしれないな。うん。やつらは食う。ブラック・ジャックに頼むか。費用が馬鹿にならない。じゃあ鬼太郎か。
実在しない人物ばかりだ。なんて現実味のない。あ、そうか。そもそも目玉が。
双六のはじめアンパンマン家族 石寒太
不真面目に生きている罰かもしれない。休職してもうすぐ一年経つのではないか。子ども関係の職場だったから、毎日賑やかだった。そして拾いものの毎日だった。人生ゲームのオトコとオンナ、福笑いのピカチュウの鼻、ビー玉、サイコロ。いつもサイコロがないと言われていたな。この目玉をサイコロにして……。ああ死生観云々ではなく、何かが崩壊しそうだ。
上皇の塚のあをあを冬の鵙 石寒太
もう一層のこと、鵙の贄になれば良い。しかしいいところの鵙がいい。隠岐島はどうだろうか。神々の集まる島根と妖怪の集まる鳥取とを望遠出来る。一石二鳥だ。あ、一石二鳥で目玉が落ちたのだった。やめよう。
吸殻を拾えば闇の凍てにけり 五島高資
冬の道にはよく吸殻が落ちている。寒いなら早く帰れば良いものを、喫煙者には長い長い道なのだろう。足で消した後に吸殻を拾う。白い吸殻が抜けた闇はぴんと張り詰めるのだ。では、目玉を掬いあげた水面は如何なるのだろうか。
もう初めからこの方法しか無かったのだ。目玉を掬って、元に戻す。たったこれだけ。本当に。
冷たい水がより冷たくなっている。温もりを全て奪われそうになるが、目玉に触れると湯たんぽのように温い。そしてそのまま、すぽっと。
オリオンを眺めて眠るところかな 五島高資
しまった。向きを考えていなかった。空洞の方を向いてしまっている。暗い。暗いのだが、ぽつぽつと白い水玉が見える。オリオンに似ている。特にベルトラインが。まあこれを見つめる終始見つめるのも悪くはないか。
底冷えの日記は愛と嘘で埋め 高崎義邦
そんな一日だったのだ。
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
■高崎義邦 冬 10句 ≫読む
第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
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2014-01-19
【週俳12月の俳句を読む】目玉の話 中山奈々
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2 comments:
山の池鬼が見詰めてゐて冰る 奥坂まや
でした。作者の奥坂さんをはじめ、みなさま申し訳ありませんでした。
訂正しておきました。
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