【週俳12月の俳句を読む】
サイコロの目
月野ぽぽな
●アンパンマン家族 石 寒太
初木枯表札に父生きてをり
父の死、と言わずにそれを読み手に伝える「表札に父生きてをり」の措辞が秀逸。「木枯」ではなくその季節の初めての木枯である「初木枯」が透明で丁寧なニュアンスを一句に加えている。ところで世帯主が他界した後もその名の表札を残しておくことは実際によくあるようだ。筆者の実家は信州伊那谷にあり表札に父は生きている。
●冬 高崎義邦
あの家は今生きてます干布団
家に布団が干してある。これは、あの家には人が暮らしている、つまり人が生きているという証。それを換喩の効いた口語調で「あの家は今生きてます」といったことがドライな読後感を生み、古い昔からある「干布団」の世界観から、現代風な軽みの面白さを引き出している。
●シリウス 五島高資
ゴミ箱を空にして天の川かな
一日の終わりに、溜まったゴミを捨てた後ふと天の川を見上げたのだろうか。日常のささやかな開放感が気持ちよい。だが、待てよ。もしも「ゴミ箱を空にして見る天の川」だったとしたらそれだけかもしれないが、掲出句には、実景とともに香る普遍性への翼がほの見える。たとえば、雑念が消えて内なる声が聞こえる瞬間。
●尿せむ 柿本多映
サイコロの目の出る方に雪ばんば
サイコロは、目の出方が人の意に沿わないため昔は神の意思と捉えて宗教的儀式に用いられたという。一方、雪ばんばは綿虫の別名で、雪の頃に現れることや蝋物質を身にまとって飛ぶ姿が雪を思わせるのでこう呼ばれる。その現れる瞬間そして飛ぶ姿はそれはそれは幻想的だと聞く。この二つの出会いが、運命的で神秘的な空間を一句に生み出している。しばらくこの感覚を味わっていたい。雪ばんばと出会うその日を楽しみにしつつ。
●ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 小津夜景
もがりぶえ殯の恋をまさぐりに
意味の類似性による連想が人の日常の表層意識に起こりやすいのに対し、音の類似性によるイメージ喚起は意識の深層に生じるという。 <もがりぶえ><もがり><まさぐり>。言葉という生命体の生々しくて瑞々しい深層心理の領域特有の風合いが漂う。殯(もがり)とは日本古代の葬制で人の死後,本格的に埋葬するまでの間,遺体をひつぎに納めて喪屋内に安置したり仮埋葬して,近親の者が幽魂を慰める習俗。ここに見えるのは、たとえば心中の遺体二つを風が激しく音をたてて吹き巡る風景。一句が情愛を巡る世界の一となった。
●海原 奥坂まや
山の池鬼が見詰めてゐて冰る
鬼は想像上の怪物。「節分の鬼」や「鬼ごっこの鬼」に始まって、「仕事の鬼」などのように人を形容する言葉にもなる。目に見えない超自然の存在も担う鬼。その中には池を凍らせるものも確かにいそうだ。豊かな想像力から生み出された掲出句の鬼には実感があり、なんだかその続きを想像したくなるーーー冬が深まるとこの辺りでは大人が子供に言うそうだ。「だからあの池にいっちゃいけないよ。邪魔すると食べられちゃう。」
第345号 2013年12月1日
■石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
■高崎義邦 冬 10句 ≫読む
第346号 2013年12月8日
■五島高資 シリウス 10句 ≫読む
第347号 2013年12月15日
■柿本多映 尿せむ 10句 ≫読む
■小津夜景 ほんのささやかな喪失を旅するディスクール 20句 ≫読む
第348号 2013年12月22日
■奥坂まや 海 原 10句 ≫読む
●
2014-01-12
【週俳12月の俳句を読む】サイコロの目 月野ぽぽな
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿