2014-02-02

自由律俳句を読む 29 吉岡禅寺洞 〔1〕 馬場古戸暢

自由律俳句を読む 29
吉岡禅寺洞 〔1〕

馬場古戸暢


吉岡禅寺洞(よしおかぜんじどう、1889-1961)は、1918年、福岡において『天の川』を創刊した。後に定型文語俳句と決別し、口語自由律の俳誌となった。禅寺洞の死とともに『天の川』は終刊となるも、1962年、永海兼人によって『あまのがわ』として継承され、現在まで継続する。なお、『主流』の田中波月もまた、禅寺洞に連なっている。

天の川この秋の客誰々ぞ  吉岡禅寺洞

いまよりも澄んだ夜空がここかしこに広がっていた時代、天の川を眺めていると来客があった。いったい誰誰だったのか。

旅人の眼にだけ 広重の松がある  同

地元の名所に地元民が気付くことは少ない。ところで禅寺洞句には、句の途中で空白を入れるものが多い。掲句では、空白の必要性は薄いように思うがどうか。

黒揚羽が去つた 或る女のように  同

あくまで個人的な感覚だが、女はどうにも、去り際が美しい。もとい、未練なく去って行けるように思う。そうまるで、今のこの黒揚羽のように。

牧の馬にあわないでばつたの日がかたむく  同

牧の馬とばつたがそばにいた頃の生活に、若干憧れる。牧歌的といっては少し語弊があろうが、そうした景に生きて詠みたいと、インターネットをしながらたまに思うのである。

ごきぶりのあわてようおかしくもない夜です  同

禅寺洞的な句だと思う。現代においても、こうした自由律俳句は詠まれ続けているだろう。そういう意味では、普遍性をもった詠み方なのかもしれない。


※掲句は、上田都史ほか(編)『自由律俳句作品史』(1979年/永田書房)、裏文子「吉岡禅寺洞」(『自由律句のひろば』創刊号/2013年)より。

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