俳句形式への刻印
花谷和子句集『歌時計』を読む
谷口慎也
※『連衆』第66号(2013年9月刊)より転載
著者の第五句集。『藍』誌四十周年記念句集として出版されている。花谷は個を尊重する実作主義者であれば、やはりひとつひとつの作品をゆっくりと味わうのがよい。その中から著者の身体性を伴った日常が見えてくる。そして、その表現方法には緩みがない。
冒頭句は
二千年明けゆく月と星の位置
卷末は
われのみの足跡深し雪の門
となっているが、〈月と星の位置〉の確認は、すなわち次に「われ」の位置の確認である。塵界のわが位置をその大自然において捉えようとする孤高の精神をここに見てもよい。そして〈足跡深し〉には生活者としての歩みの重さと深さとが自認されているであろう。この二句の間には次のような作品が並ぶ。
永劫の滝音なりき父祖の地に
病める子へ二つぶ三つぶ雛あられ
死顔を褒めてせんなし鳥渡る
白梅の何を滅してこの白さ
薔薇そこに身を傾けている闘魚
月光の海へガラスの扉押す
何か始まる野の一点の鶏頭炎え
これらの抽出句のみではその全体像が掴みにくいだろうが、ここには花谷の生活の現場から立ち昇ってくる様々な情感が、一句ごとに韻文としての響きをもって屹立している。その無駄のない表現は、その時々の自分の思いを俳句形式に刻印していこうとする、その堅い意思に比例していると見なければならない。
花谷和子句集『歌時計』角川書店(2013年)
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