2014-05-04

【八田木枯の一句】ゆびとゆび高さをきそふ夏は来ぬ 西原天気

【八田木枯の一句】
ゆびとゆび高さをきそふ夏は来ぬ

西原天気



この時期、例えば新宿から自宅のある東京西郊へ、甲州街道(国道20号線)は道路両脇の欅の新緑がほんとうに気持ちがいい。途中、給田の交差点を右に折れて西北へ。東八道路へ出て、西へ。野川公園にさしかかるあたりの緑、これまた気持ちがいいのです。

ああ、夏が来たなあ、と。

歳時記をめくると「立夏」という季語の傍題で「夏に入る」「夏来る」などが並んでいます。同じことを言うのかもしれませんが、語から受ける印象はずいぶん違います。

「夏が来る」という言い方は、立夏という語を知るずっと前に、私たちの中にすでに入ってきていたからだと思います(「夏に入る」なんて言い方は俳句を知ってからですから、自分にとってはなおさら新しい)。幼かった私たちは、「立夏」という暦の語を知らなくても、「夏が来る」ことはわかった。

一方、「夏は来ぬ」という言い方は、どうでしょう。文語だけれど、唱歌(佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲)で古くから知っている。歌のメロディや歌詞はなんとなく頭に残っている。じんわりと心に滲みて、ちょっと甘美な言い方です。

そこでこの句。

ゆびとゆび高さをきそふ夏は来ぬ  八田木枯

座五は「立夏かな」でもなく「夏来る」でもない。「夏は来ぬ」。

指と指が「長さ」ではなく「高さ」を競うというだから、てのひらを見上げる感じです。てのひらを目線の上のほうに持っていってみると、きっと、その背景に空や太陽が見えます(「天井かもしれないよ」なんて言わないでくださいね。なにしろ「夏は来ぬ」なのですから)。

縮こまるのではなく、のびのびと上方へ伸びる指と指。

ああ、夏が来たんだー、と、胸いっぱいに思うのです。


ちなみに私の二大「夏は来ぬ」句は、この句と《プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ 石田波郷》です。

掲句は『天袋』(1998年)より。



毎週、八田木枯(1925~2012)の一句を取り上げる「八田木枯の一句」は、複数の書き手が執筆を担当。さて来週は誰の執筆か。お楽しみにお待ちください。


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