【週俳6月の俳句を読む】
夜の闇へと続く回線
鈴木不意
昭和の日鷗も我も用のなく 陽 美保子
昭和を代表する団塊の世代は定年退職を迎えた人達が多い。祝日とは言え、用がなくなったと薄々感じる身には御目出度い気分にはなれないだろう。
たとえば昭和の町、昭和の店、昭和の歌、昭和の子とくれば何かしらの思いが湧いてくる。過ぎた時間を考える余裕が出てくると同時に一抹の寂しさがつきまとうのだ。
荒梅雨のなかで生まれた馬を抱き 髙坂明良
ロープシンの「蒼ざめた馬」や「ヨハネ黙示録」に出てくる死を象徴する馬が連想された。それは〈荒梅雨〉の「荒」一文字が「馬」に繋がりそうさせるのだろう。
象徴としての馬をどう捉えたらいいか。この景をイメージする。映画の一場面のように見え、読み手の想像力をかき立てるのだ。
ただ、芭蕉の〈潅仏の日に生まれあふ鹿の子哉〉の句形が思い浮かんだことも事実である。
鳴りやまぬ夜の電話を蝌蚪の紐 原田浩佑
電話を取れば鳴り止むのだから、作者にとっては取りたくないと思わせる何かがあったのだろう。しかしそれでは普通の行為になってしまう。
深夜の電話ほど不吉な予感を抱かせるものはない。私の年代ともなると、知人、親族の不幸の連絡でも来たかと思ってしまう。〈蝌蚪の紐〉は電話機と夜の闇へと続く回線のようだ。蝌蚪の紐は想念としてひょっこり出て来たのだろう。
蝙蝠の翅ほのほのと帰り来ぬ 井上雪子
蝙蝠は鳥のようにスーと飛ぶように見えないところが面白い。夕空に舞う姿を〈翅ほのほの〉と感覚的に表した。この夕空は一幅の絵である。
声高に作らず、曲解されることのない句は好ましい。
白球の白さ受け取る夏の空 梅津志保
白いボールを〈白さ受け取る〉と白を重ねた表現が面白い。見えて来るのは白のボールと夏の空だけだ。夏空の下の白球なら甲子園の高校野球を思い浮かべてしまうが、読み手の解釈で夏の場面は変わってくるだろう。夏本番である。
壁ちぎりちぎりゆくかに春のナン 西村 遼
食べ物を壁にたとえるなんて私にはできない。焼けたナンの手触り、崩れこぼれた一片一片からイメージしたのだろう。また、春以外の季ではしっくりこないのは明らかで〈ゆくかに〉によって晩春の雰囲気が出ている。
壁とナンの不思議な関係が心地よく感じられた。
第371号 2014年6月1日
■陽 美保子 祝日 10句 ≫読む
第372号 2014年6月8日
■髙坂明良 六月ノ雨 10句 ≫読む
■原田浩佑 お手本 10句 ≫読む
第373号 2014年6月15日
■井上雪子 六月の日陰 10句 ≫読む
第374号 2014年6月22日
■梅津志保 夏岬 10句 ≫読む
第375号 2014年6月29日
■西村 遼 春の山 10句 ≫読む
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2014-07-13
【週俳6月の俳句を読む】 夜の闇へと続く回線 鈴木不意
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