【週刊俳句時評88】
結社のこれからetc. (2)
「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から
上田信治
≫(1)
前回につづいて、この夏に出た4冊の記念号の話題。
2.
1930年創刊の「玉藻」は、今年7月号で通巻1000号となり、あわせて、星野椿から星野高士に主宰が交替しました。
300Pを超える分厚いこの号は、とうぜん、立子、椿、高士の三代の人と作品についてを中心に編集されているわけですが、とりわけ印象的だったのが、筑紫磐井による星野高士作品論でした(星野立子作品鑑賞は後藤比奈夫、星野椿作品論は神野紗希がそれぞれ担当)。
「超越する文学 ── はじめての星野高士論」と題されたそれは「このごろ気になってならないことがある。我々は団塊の世代を含む戦後世代といわれているのだが、お互いが作家論を書き合うということが、極めて少ないのだ」とはじまります。
「長谷川櫂や小澤實の同世代の作家論で膝を打つようなものはあまり読んだ記憶がない」戦後派作家が、お互い辛らつな批判をしながら支え合ってきたのと対照的に「戦後生まれ作家は批判も共感もしていないように思えてしまう」のだ、と。
それは戦後派作家(金子兜太、飯田龍太、髙柳重信、森澄雄、三橋敏雄、能村登四郎 etc.etc.)たちが、「俳句史」を戦後五十年にわたって占有していたということで、それを許したのは、兜太や龍太に首ったけでありすぎた戦後生まれの筑紫たちだとも言えそうですが。
小川軽舟による、いわゆる「昭和三十年世代」論は、団塊世代をまたぎこして、自分たちが「俳句史」を継承しようという試みでしょうし、長谷川櫂論や岸本尚毅論なら、福田若之や生駒大祐のような、昭和がもともと歴史でしかないような最も若い世代による成果が現れています。(小澤實論は、まず、われわれが小澤による藤田湘子論を手にしてからなのかもしれません)。
ともあれ、このままでは、現在60代70代の作家が丸ごと俳句史的に埋没してしまうかもしれないわけで、「Blog俳句空間」に「沖」の青春群像を書き継いでいることも含め、筑紫には、自身の同時代を俳句史に纂入するというモチーフがある。
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「玉藻」記念号に戻りましょう。
星野高士(昭和27年生)自身の「難しい技巧を凝らしたり、難しい言葉や時を使ったりする句だけが、いい句だとは限らない」という言(牧羊社刊・第一句集『破魔矢』あとがき)を引用し、筑紫は、星野が「難しい句を簡単に書く」という「難しい道」を選んでいるのだと述べます。
外を/見て/句を/作る/部屋/暖かし 『破魔矢』
落葉/掃く/その/又/後を/人が/行く
冬の/日の/今日/又/強く/差し/こめり
(スラッシュは、筑紫による)
筑紫は、これらの句が、六文節から七文節で構成されていること、星野の句が多くの現代作家にくらべ、構文が複雑で、多くの内容が盛り込まれ、音律構成の自由度が高いことを指摘します。
北風に普段より歩を早めをり
爽やかに流れるやうに事運び
つまらない話続けど初笑ひ
「普段より」「流れるやうに」「つまらない」といった、間延びしたような長音節の後も、短音節を駆使することによって引き締めることが可能であり、だから高士句は、平易な言葉を使いながら、表現が緊密であり、音調が整っているのであると言うのです。
句中の語の運用、構成だけに注目し作家の特質を語りきるところは、『飯田龍太の彼方へ』において、成田蒼虬との句末の語彙の共通から、龍太句の「月並」性を抉り出した手際そのままのあざやかさ。まさに「見物」です。
筑紫は、高士俳句が「句集が出るたびに(…)新しい世界が登場するわけではない」と書き、それは「失礼なことを言っているよう」だけれど、近代的文学観に異を唱える存在である「ホトトギス文学」の、嫡流として当然のことだと述べます。
その結論自体に特に異議はありません。それは、つまり「芸」としての俳句(というか、俳句は「芸」である)ということでしょう。
ただ、その場合「ホトトギス文学」が「カルチャー(スクール)俳句」へと低落することの歯止めはどこから得られるのか、と、そこが自分には気になります。
ホトトギスを含む近代俳句の根拠には、俳句が「芸」でありつつ「文学」だということがある。それは、『俳コレ』の松本てふこ論において、筑紫自身が語ることでもあります。俳句を高濱家の「お家芸」とした虚子だって、青年期には文学を「男子一生の事業」とする時代の子の一人だったわけですから。
星野高士の俳句には(作家本人の「宗匠」ぶりの印象に反して)「俗情におもねる」こと、「自分で気持ちよくなってしまう」ことが、極めて少ない。その清潔さには、同時代の他の作家が「ちょっと恥じ入ってもいいんじゃないか」と思われるほどの、強さがあります。
そして筑紫も指摘する星野の都会性には、なんていうんでしょう、近代文学のマイナー作家による「非人情」なエッセイの系譜(近年人気の小沼丹とか吉田健一とか)に、位置づけてみたくなるようなところがある。
高士俳句の「文学」性についても、忘れないでほしいと思うわけです。
二の酉の夜空に星の混んでをり 『残響』
大瑠璃やけふの約束なにもなし
人参の皮の方だけ吾を見る
冷蔵庫の音か夜明けの来る音か
ところで、「玉藻」を創刊した星野立子は、もっぱら「天性の素質」「素直」「単純」「天真爛漫」「明るさ」「広やかさ」と言った言葉で語られます。それは要するに「天然」性とも「天才」性とも呼べる、作家の持ち分のようなものです。
俳句には、愛すべき「天然」の「天才」を理想とする系譜があります。
それはじつは近代以降のもので(勘です)、虚子がその才を愛した「天然」性の強い作家たち、素十、杞陽、爽波ら、そしてなにより立子によって、定立されたものかもしれない。
高士句は、一見するところの無内容さをもって、彼ら譲りの「天然」性「天才」性を志向するかに見えます。
しかし一方で、かんたんに立子・椿のようには(あるいは杞陽・爽波のようには)「可愛く」なれない、そういった屈託あるいは屈折のようなものを滲ませる。上に引いた句それぞれに、それは感じられます。
それは、まあ、時代が違うということなのかもしれませんが。 その屈託のゆくえに現れるものを、見守りたいと思います。
3.
「鷹」の五十周年記念号は、その別冊「鷹年譜 鷹の百人」によって、記憶されるでしょう。
藤田湘子、飯島晴子にはじまって、髙柳克弘、南十二国、そして現主宰の小川軽舟で終わる、「鷹」百人の人名録は、それぞれ15句の代表句と、略歴・人物評・一句鑑賞をもってなる懇切なものです。
一人一人に「質直なる抒情家」「笑意の人」「彗星の如く現れ、去る」といった、キャッチフレーズがついていることも面白い。
なにより、「鷹」と道を分かった多くの俳人がそこに含まれていて、読み応えがあり、いろいろなことを考えさせられます(ちなみに「彗星の如く現れ、去る」は、辻桃子に冠せられたフレーズ)。
倉橋羊村、高山(秦)夕美、鳥海むねき、しょうり大、宮坂静生、平井照敏、仁藤さくら、四ッ谷龍、冬野虹、辻桃子、小林貴子、菅原鬨也、中西夕紀etc.
それらの人の名がここにあり、彼らに呼びかけるようにその作品や人柄が懐かしく語られること。そこには、あまりにも繰り返し語られた「恩讐」の物語から自由になろうとする、結社の(あるいは小川主宰の)強い意志が感じられます。
もちろん、小澤實の名もそこにあるわけですから。
(先日、ある人が、小川の第三句集『呼鈴』のあとがきに、小澤の「呼鈴」の句が引用されていることに、強い印象を受けたと言っていました。その人は、BL読みも辞さずの人であり、たいへん興奮されていました)
この冊子で、結社外では必ずしも知られていない多くの作家の句に触れられたことも、うれしかったです。
春の山山を忘れて遊びをり 伊東四郎
豆の芽の豆かつぎゐるこそをかし 吉沼等外
鳥雲に無垢の電柱ありにけり 伊沢惠
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そういえば、今月関連書籍として『季語別鷹俳句集』『藤田湘子の百句』『飯島晴子の百句』の三冊が出ています(いずれも、ふらんす堂刊)。
『藤田湘子の百句』は、小川軽舟による、一句あたり240文字の繊細で正確な鑑賞文が読ませます。一句として、季語の解説や思い出話でお茶を濁していない。同じふらんす堂から出た同著者の自句自解本より力が入っていると言えるくらいw
〈真青な中より実梅落ちにけり〉について。
どの実が落ちるとわかって落ちるわけではない。落ちて初めて落ちたことに気づく。「真青な中より」は実梅が落ちる直前の無意識の状態を感じさせるのだ。
この「落ちる直前の無意識の状態」には「やられ」ました。
湘子句については、現代詩、前衛俳句の影響が濃い前期と亡くなる直前が(磐井さんの用語を借りれば)音律構成が自由で、たいへん面白いことを再確認しました。
現「鷹」の、とりわけ若い世代の作品からは、むしろ湘子が入門書で展開したメソッドの影響が強いという印象を受けます。
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「鷹」記念号・座談会「次代へ受け継ぐ短詩形」(宇多喜代子・永田和宏・小川軽舟・司会 髙柳克弘)のラスト近く。
髙柳 私は、自分というものにまだ関心が持てないんです。それが私個人のことなのかこの世代に共通した何かなのかはわからないんですけれど、まだ演じたいというか、自分とは違う主体を作品の中に出したい。自分はあくまでプロデューサー的に後ろにいる存在でありたい。自分の中にある本当の思いをあらわすのに及び腰になっているのかもしれないけれど、それを間接的に作品世界中の演者に出してもらえたらと考えています。
この髙柳の発言は、まず宇多喜代子が「今の自分が自分、虚飾のない今の自分が出ればよろしい」と言い、永田和宏が「自分の時間に忠実に作りたいというのは、このごろ思います」と言い、小川軽舟が「俳句を通して自分を眺めてみたい」と言ったあと、永田に「あなた言わなきゃ、いちばん若いの」と、うながされての上でのもので、場の流れを読んでの発言ということを汲むべき(同情すべき)かもしれませんが、それにしても、髙柳さんちょっと不用意というか、中二っぽい、面映ゆいことを言わされてしまっています。
「澤」7月号での対談で、筆者(上田)は、髙柳ほか数人の作品を指して「キャラ」俳句というようなことを言いました(その通りの語は使っていませんが)。それを裏づけるような発言だったので、我が意を得たりで面白かったです。
(3)につづく。
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2014-07-27
【週刊俳句時評88】 結社のこれからetc. (2) 「未来図」「鷹」「澤」「玉藻」4冊の記念号から 上田信治
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