2014-08-24

ハラハラ・どきどき 170本の「金曜日の川柳」 樋口由紀子

ハラハラ・どきどき
170本の「金曜日の川柳」

樋口由紀子



一週間がびっくりするくらい早い。そう、「金曜日の川柳」のせいである。それでなくても、残り時間は少なくなってきているというのに。そもそも週単位の締切りをこなしているのが不思議だ。川柳に関わって、同人や会員になったものは季刊が最短で、できるだけ、締め切りの緩いものを選んできた。一度月刊誌の会員になったが、三か月でギブアップしてしまった。ルーズではないつもりなのだが、勤勉ではない。特に「書く」ということに人並み以上に時間がかかる。波が来るまでじっと待っているタイプで、波が来なければ何も浮かんでこなく、何も書けない。

しかし、どうにか金曜日の川柳は続いている。もう170回とは、自分でも信じられない。一人一句を基本にしているので(石部明さんだけは二句)、169人の川柳人を書いたことになる。最初、天気さんからこの話をいただいたときは驚いた。書けるかどうかの不安がまず頭をかすめたが、それ以上の難題はどの川柳を紹介するかであった。白石維想楼の〈人間を取ればおしゃれな地球なり〉と麻生路郎の〈君見たまへ菠薐草が伸びてゐる〉の川柳を見つけたときは嬉しかった。これで承諾できると思った。そして、自分でも意外だったのは川柳を紹介してきたいという思いがふつふつと湧いてきたことだ。

相子智恵さんと伴走している気がする。関悦史さんも途中参加で、お二人がいるから、安心して続けられている。まあ、私がこけたって、お二人がいるから安心だと気を楽にしている。一人だったら、確実に息が詰まって、パンクしていたと思う。昨年、100回を目前のときに、偶然ある会で相子さんと会った。「もうすぐ100回だね」とハイタッチした。

俳人からも歌人からも川柳人からも俳句と川柳の違いをよく聞かれる。自分でも納得する答えを出すことができない。正直、私が教えて欲しい。二つの詩形は遠く離れているところも、重なりあっているところもある。それらは一概に言えないし、線も引けない。この場で両者の違いを明らかにしようと思っている意図はもちろんないのだが、表われ出てくるものを読んでみると、やはり何かが違う。

一句一句ではそれほど気にならない部分でも、かたまりとなると、評価軸も異なっているのを感じる。相子さんや関さんと比べて、私は感情過多であり、意味に捕まっている。

「金曜日の川柳」を読んでいますと見知らぬ人から声をかけてもらうことがときどきある。いままで川柳を読む機会がなく、川柳には縁がなかったが、川柳はおもしろいと言ってもらうとお世辞であっても嬉しい。川柳人には「やめるなよ」「続けろよ」とエールをもらう。私の根性なしを知っているからだろう。たぶん、ハラハラどきどきして見守ってくれているのだと思う。ありがたいことである。だから、続けられている。

私的ベスト5は

オルガンとすすきになって殴りあう  石部明

眼鏡屋が死んで一・五に戻る  大友逸星

ブロックの塀にひまわり一個の首  八坂俊生

少年は少年愛すマヨネーズ
  倉本朝世

踊ってるのでないメリヤス脱いでるの  根岸川柳

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