柳俳交流発言史
小池正博
1
「川柳は社交的の詩で綜合芸術である。社交なる故に没個性であり、間接感情を尊重するのである」(阪井久良伎)
2
「どこまでが俳句か、俳句の方で決めてくれ。それ以外は全部川柳でもらおう」(川上三太郎)
3
「俳句は五七五定型の詩」(日野草城)→「川柳は五七五定型の詩および非詩」
4
「俳句と川柳との接近は最近顕著なる現象である。境界線はますます不明瞭となりつつある。相互に善意の越境がしばしば行われる」(日野草城)
5
「現代俳句と現代川柳の混淆―これは重大なことである。このことについて、批評家も作家も全然触れようとしない。―これはまた重大なことである。俳句の真の秩序が見失われている証左であろう」(富沢赤黄男)
6
「俳句と川柳は十七音定型という点で同じだから、どうしても辛辣なシンパという立場を取らざるを得ない」(高柳重信)
7
「短歌は歌謡曲になれ、俳句は呪文になれ、川柳は便所の落書きになれ」(寺山修司)
8
「川柳が〈私〉を書き書きはじめたとき詩を獲得した」「川柳に自我が導入されたときに川柳における詩がはじまった」(河野春三)
9
「俳句は発句、川柳は平句」(「この歴史の示すところによって、今、川柳と俳句との相違を考える時、俳句の、俳諧の発句の独立せるものであるのに対し、川柳は前句付に直接するとはいえ、それはひっきょう俳諧の付句の独立せるものに他ならず、両者の特質特性は遡ってこの発句及び平句として各々が過去に持てるそれの中に求めらるべきであり…」(前田雀郎)
10
「俳句における発句性の喪失」(前田雀郎)
11
「川柳は何でもありの五七五」(渡辺隆夫)
12
「川柳が川柳であるところの川柳性」(石田柊馬)
13
「非詩的な、あるいは反詩的な要素をもっているがゆえにそれ(=俳諧)は詩作品としてすぐれているという逆説的な関係がそこにはあるのではないか」(廣末保)
14
(俳句)「諸人旦暮の詩(もろびとあけくれのうた)」(日野草城)
(川柳)「人間陶冶の詩」(麻生路郎)
(連句)「世態人情諷交詩」(東明雅)
15
「川柳とはリリシズムとクリティシズムの統一」(天満宮のお告げ)
【参考文献】
小池正博「柳俳交流史序説」(「MANO」9号)
同「柳俳交流史余談」(「走尾」5号)
同「柳俳交流座談」(「五七五定型」4号)
2014-08-24
柳俳交流発言史 小池正博
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