【八田木枯の一句】
軍服はたるみ銀河にぶらさがる
西原天気
大正14年生まれの八田木枯さんは軍隊に行っていません。昭和20年に応酬礼状を受けたものの「不適格」でした。
軍服はたるみ銀河にぶらさがる 八田木枯
軍隊に行かなくとも軍服は日常のものだったにちがいありません。軍事教練の話は、亡父(木枯と誕生日が18日違いの同い年)からよく聞かされました。
一着の軍服が干され、夜空にある。銀河が長押(なげし)のように横にのびているのか。
戦地を見なかった木枯さんの戦争の句は、日常の中にある「戦争の空気」のようなものが多い。あるいは(おそらく多くは同世代の)亡くなっていった兵士が、日本に暮らす自分の近くを彷徨うような句。「どこかで起こる戦争」に出征するのは、誰かの「近くで暮らした人たち」です。これは例外なくどの戦争でも同じです。
たるんでぶらさがる軍服は、同胞のものか自分のものかわかりません。その軍服は「中身」を欠いたまま銀河にぶらさがる。その空虚は、哀傷とも哀悼とも諦観とも虚無とも言えるし、同時にそのどれでもない。気持ちの有り様を特定してこないからこそ、印象深い「戦争の句」になっていると思います。
掲句は『夜さり』(2004年)より。
2014-08-24
【八田木枯の一句】軍服はたるみ銀河にぶらさがる 西原天気
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