自由律俳句を読む 57 種田山頭火〔1〕
馬場古戸暢
馬場古戸暢
種田山頭火(たねださんとうか、1882-1940)について、特段の説明は不要であろう。尾崎放哉とならんで、最もよく知られた自由律俳人である。健脚に恵まれて、日本中を旅して回った。今回は、『俳句界』206号(2013年9月号)掲載の「山頭火 行脚地で生まれた名句」より、数句を選んで鑑賞したい。括弧内は詠まれた場所を示す。
ここまでを来し水飲んで去る(岩手・平泉) 種田山頭火
山頭火の旅の最北端は、平泉であった。旅に生きてこうした句を詠んでみたいと思うこともある、今日この頃です。
はてしなくさみだるる空がみちのく(宮城・仙台) 同
未だみちのくへ足を運んだことはないが、空までみちのくなのだろうか。いつか彼の地で、果てしない五月雨に降られてみたいものである。
ほつと月がある東京に来てゐる(東京) 同
東京の喧騒は、地方の人にとってはすさまじい。唯一の憩いは、天上の月が変わらずあることに求められるほかないのかもしれない。
あすはかへらうさくらちるちつてくる(長野・飯田) 同
すべてがひらがなで書かれているためか、あたたかい雰囲気が伝わってくる。「あざみあざやかなあさのあめあがり」と似たような心境か。
山しづかなれば笠をぬぐ(長野・清内路) 同
「木曽路 三句」の中の一句。この日の空は、晴れ渡っていたように思う。「まったく雲がない笠をぬぎ」の空と同じように。
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