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2014-08-31

自由律俳句を読む 58 種田山頭火〔2〕 馬場古戸暢



自由律俳句を読む 58 種田山頭火2

馬場古戸暢


前回に引き続き、種田山頭火句を鑑賞する。『俳句界』206号(20139月号)掲載句からの選である。括弧内は詠まれた場所を示す。

こんやはこゝで雨がふる春雨(京都)  種田山頭火

無事に今夜の寝床をみつけることができたようで、何よりである。「雨がふる春雨」における雨の連続に、雨に降られるおかしみを感じてしまうのは私だけだろうか。

ふるさとはちしやもみがうまいふるさとにゐる(山口・防府)  同

ちしゃとはレタスのこと。そう信じていたら、山口出身の人より、ちしゃとレタスでは味がまったく違うといわれた。ふるさとの水と土で育ったちしゃもみ、さぞ美味しかろう。

曼珠沙華咲いてこゝがわたしの寝るところ(山口・小郡)  同

漂泊に生きる人にとっては、今夜の寝床探しは一大イベント。曼珠沙華がそばに咲いているところをみつけられたならば、さぞ嬉しかろう。

花いばら、ここの土とならうよ(山口・川棚温泉)  同
川棚温泉を気に入り、この地に庵を結び、死に場所にしようとした山頭火。この句を詠んで後、結局は結庵にいたらず、川棚を去ることになる。

うしろすがたのしぐれてゆくか(福岡・飯塚)  同

昭和6年、熊本にも落着けなかった山頭火が、再び旅を始めた頃に詠んだ句。このうしろすがたから、山頭火は多くの名句を生み出して行くのである。

2014-08-24

自由律俳句を読む 57 種田山頭火〔1〕 馬場古戸暢



自由律俳句を読む 57 種田山頭火1

馬場古戸暢

種田山頭火(たねださんとうか、1882-1940)について、特段の説明は不要であろう。尾崎放哉とならんで、最もよく知られた自由律俳人である。健脚に恵まれて、日本中を旅して回った。今回は、『俳句界』206号(20139月号)掲載の「山頭火 行脚地で生まれた名句」より、数句を選んで鑑賞したい。括弧内は詠まれた場所を示す。
ここまでを来し水飲んで去る(岩手・平泉)  種田山頭火

山頭火の旅の最北端は、平泉であった。旅に生きてこうした句を詠んでみたいと思うこともある、今日この頃です。

はてしなくさみだるる空がみちのく(宮城・仙台)  同

未だみちのくへ足を運んだことはないが、空までみちのくなのだろうか。いつか彼の地で、果てしない五月雨に降られてみたいものである。

ほつと月がある東京に来てゐる(東京)  同

東京の喧騒は、地方の人にとってはすさまじい。唯一の憩いは、天上の月が変わらずあることに求められるほかないのかもしれない。

あすはかへらうさくらちるちつてくる(長野・飯田)  同

すべてがひらがなで書かれているためか、あたたかい雰囲気が伝わってくる。「あざみあざやかなあさのあめあがり」と似たような心境か。

山しづかなれば笠をぬぐ(長野・清内路)  同

「木曽路 三句」の中の一句。この日の空は、晴れ渡っていたように思う。「まったく雲がない笠をぬぎ」の空と同じように。