【週俳7月の俳句を読む】
音が目に見える
近 恵
このくらゐに豚がしておく西瓜割り 荒川倉庫
このくらいってどのくらいなのかなと考える。大きな肌色の豚が目隠しをされて蹄で西瓜を割る。西瓜の潰れる音。匂いを頼りに豚は更に西瓜を踏みつける。そしてまた踏みつける。脚を西瓜の赤い色に染めながら。周囲がもうやめろというまでではなく、豚の気が済むまでが「このくらゐ」なのだ。 見ている私はやるせない気持ちでいっぱいになる。
この世明るし豚はプールへ投げ出され 同
前足後ろ足を誰かにつかまれて、文字通り豚がプールへと投げ出されたのだ。なぜそんな目に遭うのか豚には解らないまま。キーキーという豚の声、どぶんという重たいものが水に落ちる音、派手に上がる水しぶき、ごぼごぼと沈んで、やがて浮いてきて必死で脚で水を掻く豚。この世明るしと書かれているけれど、本当は闇のまん中にいて、遠い光に焦がれているんじゃないかな。
夏の夢の先客がみな小岱シオン 福田若之
三人とか四人どころか、眼に見えるところ全部限りなく小岱シオンで、それが一斉に振り向いて私の方を見る。二次元の女子のように思える。エヴァンゲリオンの綾波レイのよう、あるいは攻殻機動隊の少佐とか。この増殖はなにか悪夢の始まりのように思える。世界中の自分以外が皆小岱シオンになってしまったら、もう自分は死んでしまうんじゃないかな。その二次元の世界で。
水母かもしれない服を着てうごく 鴇田智哉
ぶよぶよとしていて半透明で時々光る、そんな服。そのうち溶けていってしまって、それと一緒に自分の体も溶けていって水になって、海の一部になってしまうんじゃないかという、半ば恍惚とした感覚に襲われる。
かなかなといふ菱形の連なれり 同
一昔前の漫画では、太陽の光がよく菱形の連なりでもって表現されていたが、それを思い出した。かなかなの声がそんな風に頭上から降り注いでくる。 かなかなと言えば、鳴き声と、それに伴う夕暮れと、夏の終わりの寂しさと、というのが定番だけれど、このかなかなはもっと物的で、音が目に見える形になって表されている、これも写生のひとつの形なのだと思う。
蜜豆に乳首が混じるじつと見る 西原天気
読んでいるうちにどんどん胸のあたりが冷たく甘くなっていく感じがしてくる。触感にぐっとくる。私もきっと変態の一人なのかもしれない。
いつもある木に触れてゐる遠花火 木津みち子
いつもある木はだいたいいつもあるに決まっているのに、こう書かれるといつかなくなるものだという事を意識させられる。その木に触れている自分に、おなじく触れている遠くの花火の音が、木を媒介として伝わってくるような感覚になる。
万の主権者と警官隊に夜涼のヘリ 関 悦史
万の主権者という感覚的把握からそれらが自主的な者の集まりと解る反面、警官隊とはそれを仕事とし命令されて動く者の集まりと知れる。明確な対比。その上空を報道か何かのヘリが風を振り撒きながら轟音を立てて低く飛んでいる。もしそこと違う場所で出会っていたら、もしかしたら友達になれたかもしれない者たち。そこに等しく夜涼が降り撒かれている感じがする。
第376号 2014年7月6日
■木津みち子 それから 10句 ≫読む
■関悦史 ケア二〇一四年六月三〇日 - 七月一日 12句 ≫読む
第377号 2014年7月13日
■西原天気 走れ変態 9句 ≫読む
第378号2014年7月20日
■鴇田智哉 火 10句 ≫読む
第379号2014年7月27日
■荒川倉庫 豚の夏 10句 ≫読む
■福田若之 小岱シオンの限りない増殖 10句 ≫読む
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