2014-08-10

【句集を読む】遠くて、近いもの。 「流れよ我が涙、と曲がつた棒は言った」おまけ篇 小津夜景

【句集を読む】

遠くて、近いもの。

小津夜景


関悦史『六十億本の回転する曲がつた棒』には、作者自身の体験に基づく「介護」という連作が収められています。私はこの連作を初めて読んだとき斎藤史の『ひたくれなゐ』を思い出しました。

斎藤史の作風は「前川佐美雄とならぶ、モダニズム短歌の旗手」とされるのが文芸上の通説です。たしかに「白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう」というたいへん印象的な一首から始まる『魚歌』でデビューした彼女は、二・二六事件で幼なじみが処刑された折も、決して象徴主義を手放しませんでした。

羊齒の林に友ら倒れて幾世經ぬ視界を覆ふしだの葉の色
春を斷(き)る白い彈道に飛び乘つて手など振つたがつひにかへらぬ
濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
花のごとくあげるのろしに曳かれ來て身を燒けばどつと打ちはやす聲
銃座崩れことをはりゆく物音も闇の奥がに探りて聞けり
額の眞中に彈丸(たま)をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや

そのような史が晩年の十数年間、実母と夫とを介護しつづけていた時節の作品集が『ひたくれなゐ』です。ちょっとだけ関悦史の「介護」と並べてみます。まずは作者自身を詠んだ作品。

胃痛あり夏暗がりに両目開き
水芭蕉に日ざし及ぶはみじかき間われのみひらく目も冷ゆるかな

介護の合間のツェラン・バロウズ・虫太郎
鋼色の夏の一日の夕まけて余白のごときひとときがあり

「暗がりと凝視」や「合間の読書と夕まぐれのひととき」にみられる両作品の風情や奥行きはふしぎとよく似ています。ちなみにこの作者たちが病苦に向けるまなざしや、介護の日常を反映した心象風景などは、次のような筆致です(注・斎藤史の夫は歩けず、実母は目が見えません)。

車椅子縦にたたまれ春日の中
腰立たぬ夫をのせて押す車椅子 乳母車押しし日は遠きかな

「石楠花」の名のみは日に一回きかれ
陽の薫る日向よろこび緣にゐてそこの菊群の白きは知らず

手スリ摑ミ柱ヲツカミトイレヘ行クカ
水をよぎりみどりをよぎりいづ邊へ行かむ見えつつ渺と杳(とほ)き未明を

起きあがる祖母に深夜の窓紅蓮
鬼火よりさびしきいろに眼を燃せば夜のほどろにひらくゆふがほ

一人ゐて怖いと祖母に起こさるる
黄菊白菊活けられてゐて夜の部屋の死の匂ふごとき危ふさに居り

白髪散りし造花の下に祖母眠るか
老母(はは)すでに在らざるごとしころ伏して眠れるものは小さきぬけがら

祖母やいま帰心の秋蟬となりもがく
生きものはとり殘されて秋終り熱き焰の舌・水を欲る

また、作者たちが見えざるものを感じとる様子はこの通り。

亡霊のごとくに筑波秋の暮
つゆしぐれ信濃は秋の姥捨のわれを置きさり過ぎしものたち

春の天界背より吾へとあふれ入る
ことば飛びやがて鎖もえぬれば無明なりとも風生れむかも

抱へて遺骨の祖母燥(はしや)ぎつつバス待つ春
おどろなるものあたたかき草枯れの此處に憩ひて行きしものあり

どうでしょうか。もちろん俳句と短歌はおどろくほど違う。それは自分で書いてみるとよくわかります(と、作歴など無いも同然の人間が言うのも恐縮ですが)。成り立ちが違い、作句の背骨が違い、批評の目線が違う。それゆえ上掲の作品の差異を語ろうと思えば、その立ち位置や問題意識に応じていくらでも語ることが可能でしょう。しかしその上でなお私は、両者の間に動かしがたい相似的趣向を見出すのを、当然なことのように思うのです。

……などと思っていたら、最近「俳句—近くて遠い詩型」というイベントが催された模様。どんな話が交わされたのか詳しくは分かりませんが、そこで出たらしい用語と絡めてみるなら、上の関悦史の句と斎藤史の歌が似ているのは、両者が「新体詩」の目指そうとした地点とかけ離れたところにある心象表出のプロセス、すなわち詩歌連俳に通底する「ことばあしらいの伝統的作法」を引き継いでいるからだと言えるかもしれません。

普段、関の俳句はそうした「伝統的作法」をあまり表にあらわしません。とはいえ『六十億本の回転する曲がつた棒』の「百人斬首」といった思いつきやその書きぶりをみれば、漢詩や和歌を意識した作句法(これについては本編「流れよ我が涙、と曲がつた棒は言った」でも少しだけ触れました)はこの作者にとって縁の薄いものでないことは確かです。

大西巨人は生前、斎藤史の短歌を斎藤茂吉のそれと並べ「遠くて近きもの」と評したことがありますが(史の作風を言い表す「モダニズム」とはとりもなおさず「反写生主義」「反アララギ主義」を意味するにも関わらず、彼はそう主張しました。詳しくは大西巨人文選3『錯節』所収の「耐えるべき『長命』として」参照)が、どうやら私も関悦史の句と斎藤史の歌との間に「遠くて近きもの」を感じ、またその理由を両者の資質ではなく、むしろそうしたものの外側に瞭然としてある歴史、とりわけ俳句がおのれに先行する詩型である漢詩・和歌・連歌に拮抗せんと足掻いてきた軌跡にある、と改めて意識してみたいようです(私は池澤一郎氏の研究をここで知って以来、折りに触れそのことを考えるようになりました。http://haiku-space-ani.blogspot.fr/2009/06/blog-post_2199.html)。

と、そんなわけで「俳句と短歌=遠くて近いもの」ではないか、というのがこのユルい雑文の帰着であります。加えてこの帰着は、俳句と短歌の果てしない差異を想えば想うほど、「さもありなん」な感興を呼び起こすはず、というのが私個人の見通しです。清少納言の語る「遠くて近きもの」といえば「極楽。船の道。男女の仲」ですが、これらに共通する最大の特色は何といっても「この世とあの世/道/仲」の間隔に孕まれた象徴的断層ないし不到達性。したがって、実のところ「遠くて近いもの」とは「見果てぬ距離ゆえに、夢見られる触手」以外の何ものでもないのですから。


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