「見過ごしがち」と「当然に見過ごす」のあいだ
岡田由季句集『犬の眉』を読む
小野裕三
初めて出会ったのはもう十五年近く前のことになってしまうのだが、その頃から岡田由季さんに対する僕の変わらぬ印象は〝控えめな実力派〟というもの。第一回週刊俳句賞、そして最近では角川俳句賞の有力な候補にもなった。そんな彼女の俳句に対する評は、本書序文にある石寒太氏の文章がきわめて的確だ。
もし俳句を作っていなかったら、当然に見過ごしてしまっていたに違いないような事柄・瞬間・感触・感動などのひとつひとつが、岡田由季という俳句作家の眼を通して、俳句という形式に見事に顕れている。そこに彼女の独自性がある。
さすがに師弟の間柄にあるだけあってまさしくと納得したのだが、少し経って、待てよとも思った。つい見過ごしがちな日常の些事の中に俳句ならではの「発見」をすることは、ある意味で当たり前のこととも思える。俳句で「発見」ということがよく言及されるのは、まさにそのことを意図する。それは俳人の多くが日々やろうとしていることそのものではないのだろうか。だとすれば、そこに彼女の「独自性がある」というのはどこか奇妙に転倒した話にも感じる。
そう思った時に、石寒太氏の「当然に」という言葉が気になった。彼女が俳句にしているのは、「当然に見過ごしてしまっていたに違いない」ことだ。つまり、ここで言われていることは、〝つい見過ごしがちな〟ことを俳句に書きとめたということではない。つまり、〝つい見過ごしがちな〟ことに気づいて俳句にしたのではなく、「当然に見過ごす」ことを巧みに俳句の形に仕立て上げたのだ。この違いは大きい。例えば、この句。
かなかなや攻守の選手すれ違ふ
見過ごすも何も、こんな風景は夏に野球をやる限り、いつも誰もが見ている光景だ。だから、この句は誰もが〝つい見過ごしがちな〟ことを発見した結果ではない。むしろ、誰もが〝見ている〟ことを俳句として再構成した結果なのだ。つまり、ここでのキーワードは「発見」ではなく「構成」である。みんなが当然に見ていることを、見事な俳句の形に再構成する力。
そう思って見てみると、彼女の俳句には意外に建築や設計ということをモチーフにした句が多いことにも気づく。
美術館上へ上へとゆく晩夏
間取図のコピーのコピー小鳥来る
蟬の鳴きかけてやめたり地鎮祭
コスモスや腑分けされゆくオートバイ
夏蝶のまつはる民家解体中
雪もよひ柱時計が統べる家
どの句も、設計図めいた大きな世界が句の背後に見え隠れする。一句に言い現された空間に覆い被さるように、もっと大きく精緻に作られた構造の世界が見える。もちろんそれが、句の世界の広がりということにもなる。そのような意味での空間把握力とでも言うべきか、眼の前にある素材の要素を組み合わせてさっと俳句の空間を構成してしまう、そのような能力がきっと彼女は卓越しているのだろう。その素材とこの素材をこの位置に配置すれば、そこに俳句的空間が生まれるという直感力。いささか余談ながら不思議だと思うのは、彼女の名前。由季。「季」を「由」する。つまり季語などに見られるような季節的素材を的確な関係の中に結びつけていく、というふうにも読める。まさに名は体を表す、と言うべきか。
彼女の構成力は、当然のように空間だけでなく時間にも及ぶ。だから、彼女の句には時間性つまり物語性を微かに感じさせる句も多い。
犬の眉生まれてきたるクリスマス
飽きられて風船ほつとしてゐたり
敷物のやうな犬ゐる海の家
下山してしまへばただの茸山
島の秋土曜日ごとに雨が降り
妹のぽつぺんぽぴとしか鳴らず
どの句も、なんとなくその句が持つ世界の次の頁をめくりたくなる。そんな感覚に溢れている。誤解のないように言っておくと、句集の次の頁をめくりたくなるという当たり前のことを言っているのではもちろんなくて、それぞれの句が作りだすそれぞれの架空の本のようなものがあって、その頁をめくりたくなる、という意味だ。上質な絵本の中から抜き出した一頁、みたいな印象が彼女の句にはある。彼女の句集には、見えない頁がたくさん隠されているのかも知れない(建物がたくさんの秘密の小部屋をその中に隠しているように)。そう考えると、実に贅沢な句集でもある。そしてその贅沢さを支えているのが、一句一句を「構成」する彼女の卓越した力、ということだ。
そして彼女の句のもうひとつの特長は、どの句もなんとなく心が温かくなること。これはもろちん、彼女の人柄ゆえのせいで、テクニックの問題とは違う話だが。
いずれにせよ、〝つい見過ごしがちな〟なことを「発見」するのではなく、それと似て実は非なる彼女の俳句は、誰もが見ているのに「当然に見過ごす」ことを、巧みに再構成する。石寒太氏も語るように、彼女の「独自性」はまさにここにある。
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句集『犬の眉』についてのお問い合せは、岡田由季さんまで。
メールアドレス yuki-o@rinku.zaq.ne.jp
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