2014-09-21

【八田木枯の一句】家ぢゆうの柱のうらの稲光り 西原天気

【八田木枯の一句】
家ぢゆうの柱のうらの稲光り

西原天気


柱の見える家など、もう少なくなりました。先週末、友人の別荘(持つべきものは別荘持ちの友人ですね)に出かけたところ、200年前に建った茅葺きのその家には一辺20センチを超える柱。思わずぺたぺたと掌で触ってしまいました。

家ぢゆうの柱のうらの稲光り  八田木枯

稲妻は外なので、家の中にいれば、「柱のうら」は至極当然。当たり前の景をすっきりと鮮やかに叙述されています。ところが、「家ぢゆう」はどうなのでしょう。稲妻は一定の方角で起こるものです。《いなびかり北よりすれば北を見る 橋本多佳子》。「家ぢゆうの柱」のわけはない。ここには誇張があります。

誇張、針を振りきるような表現は、しばしば俳句を「ただの叙述」「なにかを描くこと」からさらに先の快楽へと昇華させます。

「柱のうらの稲光り」という現実から、さらに強度の高い現実へ。

ちょっとしたブーストではありますが、そこが決定的な効果。この表現の「ひと押し」、誂えの「ひと手間」が句の命だったりします。

ところで、掲句は、さきほど引いた《いなびかり北よりすれば北を見る 橋本多佳子》をうっすらと呼び寄せもします。《いなびかり~》の句は屋外の感じではありますが、方角と全方位という対照の点で。

それにまた若き日の八田木枯と橋本多佳子には接点がありました。同じ山口誓子門下ですし、八田木枯『あらくれし日月の鈔』(1995年)には《多佳子恋ふその頃われも罌粟まみれ》《多佳子恋ふ修羅修羅修羅と秋の蛇》の2句があります。

多佳子は美人です。付言するに八田木枯もそうとうな美男でありました(参考画像≫こちら)。「恋ふ」とは文字どおり「恋ふ」、身も心も「恋ふ」と解したいところですが、26歳の年齢差があります(多佳子は1899年生まれ)。たぶんに文学的な意味の「恋ふ」でありましょう。

話があっちゃこっちゃ行きました。ご容赦。


掲句は『汗馬楽鈔』(1988年)より。


 

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