【八田木枯の一句】
秋の淡海言ひそびれたることありぬ
西村麒麟
言い忘れと言いそびれは少し異なるが、句の作りとしてはどちらでも成り立つように見える。
秋の淡海言ひそびれたることありぬ 八田木枯
でも
秋の淡海言ひ忘れたることありぬ
言ひそびれの方を知らなかった場合、こちらでも面白いかもしれない。
意味的には「言い忘れ」の方が、伝えるべきことを伝えられなかったとなり、後悔が見える。
上のように二句並べてみると、「言ひそびれ」の方が断然良いように感じるがどうだろうか。ま、いっか、ぐらいの「言いそびれ」の方が秋の淡海に深刻な重さをと与えないためだろう。
句集『天袋』(1998年)を開くとこの句の前後がなかなかすごい。
死ねばすぐ大むらさきともつれたく
露の身にして些かの紙の屑
生れたる数だけは死に秋の風
野菊道ところどころで我は死に
ま、いっか、なのかもしれないが、軽いわけではない。
そう言えば全句集に秋の湖の句はこの一句だけ。
何を言いそびれたのだろう。
2014-09-28
【八田木枯の一句】秋の淡海言ひそびれたることありぬ 西村麒麟
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