【八田木枯の一句】
いつ来ても枯野にのこる汽笛の尾
西原天気
汽笛という日本語はそれだけでは機関車なのか船なのかわからない。俳句は短いので、どちらの汽笛なのかを説明しない句も多い。明確に伝えるには、それなりの措辞が要ります。
いつ来ても枯野にのこる汽笛の尾 八田木枯
この句の場合、はっきり汽車とわかります。技ですね。
音を視覚として捉えるのは、俳句ではめずらしい手法ではありませんが、ぴたっとキマった句。技です。
「いつ来ても」という繰り返された行為から、「のこる」は、過去から未来まで永遠に「のこる」ことなのだとわかります。「尾」という一瞬。消え入る前の一瞬が、永遠にそこにあるというわけです。
掲句は『汗馬楽鈔』(1988年)より。
2014-11-23
【八田木枯の一句】いつ来ても枯野にのこる汽笛の尾 西原天気
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