自由律俳句を読む 77 尾崎放哉〔1〕
馬場古戸暢
尾崎放哉(おざきほうさい、1885-1926)について、特段の説明は不要であろう。種田山頭火とならんで、最もよく知られた自由律俳人である。山頭火の俳風を「動」とするならば、放哉の俳風は「静」であったとされる。以下『自由律俳句作品史』(永田書房、1979)より、数句を選んで鑑賞したい。
亀を放ちやる昼深き水 尾崎放哉
深きを昼と水のどちらにかけて読むかで、句の雰囲気が変わってくるように思う。昼が深い世界に亀が泳ぐ水があるというのも、なかなかに面白い。
蛙釣る児を見て居るお女郎だ 同
ここでの女郎は、「じょろう」なのか「めろう」なのか。女性あるいは遊女なのか、それとも単なる少女なのか。どれととるかで、景ががらりと変わってくる。鮭釣る児には何の関係もないことかもしれないが。
高浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す 同
山頭火に「投げ出した足へとんぼとまらうとする」がある。山と海という違いが明確にあるが、やっていることはそんなに変わらない。
砂山赤い旗たてて海へみせる 同
放哉自身が、一人遊びをしている様と読みたい。楽しそうな海辺での生活が伝わってくる。ここでの赤い旗が何なのか、ご存じの方があればご教授を。
赤とんぼ夥しさの首塚ありけり 同
古戦場の景を詠んだものかもしれない。「夥しさ」の語が直球に過ぎるかもしれないが、「首塚」とともに、不気味な雰囲気を伝えてくる。
2015-01-25
自由律俳句を読む 77 尾崎放哉〔1〕馬場古戸暢
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