2015-02-22

後記+プロフィール409

後記 ● 西原天気

きょうは2月22日。ゾロ目です。毎年やってくるわけで、別に特別でもありません。

でも、西暦2222年2月22日となると、話が違う。世界中で大騒ぎするかもしれません。

というか、それまで人類は生きているんでしょうか?


 
先週まで続いてきた田島健一さんの「2014石田波郷新人賞落選展を読む・思慮深い十二作品のためのアクチュアルな十二章」は、今週・来週とお休みです。



それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.409/2015-2-22 profile

■なかはられいこ
1988年、時実新子の『有夫恋』で川柳と出会う。1998年、文芸メーリングリスト「ラエティティア」に参加。2001年、倉富洋子と二人誌『WE ARE!』創刊(1号~5号)。2004年3月、歌人の荻原裕幸氏、丸山進氏らと「ねじまき句会」を立ち上げる。2010年、朝日新聞「東海柳壇」選者。第一句集『散華詩集』(1993年、川柳みどり会)、第二句集『脱衣場のアリス』(2001年、北冬舎)、共著『現代川柳の精鋭たち』(2000年、北宋社)。

■兵頭全郎 ひょうどう・ぜんろう
1969年大阪生まれ。「川柳結社ふらすこてん」同人・編集人。「Leaf」同人・編集人。「川柳カード」同人。

■赤野四羽 あかの・よつば
1977年生まれ。無所属。

■柳本々々 やぎもと・もともと
かばん、おかじょうき所属。東京在住。ブログ「あとがき全集。」http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

■馬場古戸暢 ばば・ことのぶ
1983年生まれ。自由律俳句(随句)結社「草原」同人。

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。「月天」同人。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。ブログ「俳句的日常」 twitter

5 comments:

S. Yagasaki さんのコメント...

素朴な疑問、なのですが。

季語の「斡旋」・「措辞」といった(たぶん)俳句の世界の方々に独特な言い回しの、ルーツを御存知でしたらご教示ください。
(鑑賞文を書かれる際の必須アイテムのようですが、自身は俳句をやらない私にはとても違和感があるのです。)

西原天気 さんのコメント...

Yagasakiさん、こんばんは。

私がコメントしてご要望に適うかどうかわかりませんが、いちおう私の書いた記事に付けてくださったコメントなので。

(記事内容=後記とは無関係のなようですが)



まず、「措辞」と「斡旋」は、事情がかなり違う感じです。「措辞」は、おっしゃるような「俳句の世界の方々に独特な言い回し」でもないと思います。「季語の斡旋」はおっしゃるとおりです。



「措辞」は、俳句分野で使われるときも、辞書にあるとおりだと思います。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/130495/m0u/
俳句にかぎらず、主に詩歌分野で使われていると思います。

修辞(レトリック)との区別は微妙ですが、俳句という短いもの(文章より短い)に「修辞」はちょっと違和感。措辞(ワーディング)という語のほうが収まりがいいような気がします。「修辞」は修飾・多弁・雄弁の気味があるので、その意味でも俳句に使うと、誤解を生みそうですし。



一方、「季語の斡旋」という言い方は、多分にジャルゴン(俳句業界用語)的に用いられているようです。

ただ、意味は、作者が作った数音から十数音に、どんな季語をくっつけるか、といった、ごく単純なことだと思います。

起源は知りません。わかるとおもしろい展開があるかもしれません。

「季語の斡旋」については、抵抗なく使用する人(書き手)とそうではない人がいます。私は後者です。この言い方には抵抗があるので(理由は長くなりますが、簡単に後述)、きほん使いません。使うときは《いわゆる「斡旋」》というふうに鍵括弧付きで使います。



「季語の斡旋」という言い方をしない理由(簡単に)
1 あまりに業界用語的で、俳句外部には注釈なしで伝わらないので。
2 この言い方にには、季語と季語以外のあいだを取り持つということでしょうから、季語以外のフレーズに季語をポンとくっつける感じが含意として拭えない。その作り方ももちろんありますが、それは俳句の本質的な部分ではないと考えるので。

tomy さんのコメント...

Yagasakiさんの疑問、よくわかります。つけ加えさせていただきますと、鑑賞でちょくちょく見かける「文学臭」「ポエム」というのも説明がなく、俳壇のジャルゴンなのかなと思っています。

S. Yagasaki さんのコメント...

場違いなコメントをいたしましたのに、ご丁寧なお返事を頂きありがとうございます。

印刷屋で、結社誌数誌の組版をしています。
季語以外の全てを「措辞」の二文字で括り、季語の「斡旋」と相俟って素晴しい、などと言われれば、もうその句にはほかに何も残っていないようで(或いははじめから何も無かったようで)、或いはまた、言葉がなおさら窮屈な場処へ閉じ込められるようで、つい悲しくなったのです。

門外漢がつまらぬことを申しすみません。失礼いたしました。

西原天気 さんのコメント...

いいえ、お気遣いなく。

《言葉がなおさら窮屈な場処へ閉じ込められる…》

重要な指摘と存じます。

批評が貧しくなり、評価が閉じていくと、分野が死んでいくと思っています。