【八田木枯の一句】
ふるさとの紙鳶は糸より暮れにけり
太田うさぎ
ふるさとの紙鳶は糸より暮れにけり 八田木枯(『夜さり』)
糸が風に鳴り、晴れ上がった空の遥か高みに、別な魂を持ったもののごとく幸吉の凧は高々と揚がりつづけた。夕暮れの光のなかで天高く静止したそれを見つづけていると、すっかり糸は消え失せ、まるで地上とは無関係に、凧だけが独立した別な世界に属していた。幼い兄と二人で、あの八浜の船着きから続く坂道の原で風を背に受け、夕空高くにとどまっている凧を見つめていた時の、何もかにもが輝いていた一切が弥作の中に蘇ってきた。飯嶋和一の『始祖鳥記』を読んでいたら掲句の解題のような一節に出会ったのだった。これ以上何を付け加える必要があるだろう、という気がする。ただ両者が異なるのは、小説のなかで弟の追憶に浮かぶ凧は現在から完全に切り離され、故郷という王国に燦然と君臨するのだけれど、木枯句では夕映えに染まった糸が天上と地上とをかろうじて繋ぎとめているところ。やがて暮色が深まればその糸も掻き消え、紙鳶のみが薄闇にぼうっと揺らめくのかもしれない。そうなる前の、握った糸を引けばふるさとを手繰り寄せられるという手応え。その実感があるかぎり憧憬の夕空に紙鳶はいつまでも留まりつづけるのだろう。
凧上げはこどもの遊びだけれど、まさに「追憶はおとなの遊び」〔*〕なのだ。
〔*〕仁平勝《追憶はおとなの遊び小鳥来る》
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