【週俳・1月2月の俳句を読む】
体が思わず反応してしまう
近 恵
結昆布結び目の暗きをつまむ 小野あらた
俳句的だなあと思った。正月の目出度さを敢えて外し、結び目に暗さを見つけ、つまむというあたり。目出度さも美味しさも感じていないような雰囲気。なんていうか他の句もそうなんだけど、お節料理をあまり美味しいと思っていないような感じがする。ただし、ゆいいつ目玉焼きの句だけが少し美味しそうに思える。
喰積を広々使ふ煮しめかな
「喰積」は元々は新年の祝饌のことで、後に重詰のお節料理の事を指すようになってゆくのだが、この句の「喰積」は、重詰料理のことを指しているのだろうか。「広々使ふ」と言っているので、私にはどうも容器である重箱のことを指しているように思えるのだが、それは私の想像力の欠如だろうか。もし「重箱」の意味で「喰積」を使っているのだとしたら、それは拡大解釈しすぎているんじゃないのかなと思ってしまうのだけれど。そんなことを考え出したら10句でまとめた正月の食卓とは思っても、1句目にひっかかってあららーっと思ってしまった。まさに重箱の隅をつつくような話だけれども。
節分や育ての親に種降りて 花尻万博
そういわれると豆まきの豆は、確かに植物の種なのだと改めて思う。私の実家では大豆ではなく落花生を豆まきに撒いたけれど、落花生もそういや種だ。生みの親ではなく育ての親に種が降る。お寺さんの節分会だろうか。高いところから撒かれた豆を頭から受けているその姿に「種が降る」というのはなんだか歓びがあるような気分になる。
うがいするまだらな音を出しながら なかはられいこ
まだらな音かあ。うがいの音は決して美しい音ではない。それをまだらな音という。この句を読みながら、そしてこれを書きながらも、つい口を開けて「がらがら」としてしまう。そんな風に体が思わず反応してしまう不思議さがこの句にはある。
飛ぶ夢を見るたび眉毛太くなる 兵頭全郎
最近はあまりないけれど、子供の頃からよく飛ぶ夢を見た。夢の中では飛べるのだ。何度か飛ぶ夢を見るうちに夢の中では飛べるんだということが解った。そうだ、飛べるんだったと思い爪先で地面をとんと就くと、ふわりと体が宙に浮くのだ。本当は見たこともないくせに、夢の中ではいつも歩いている道などを飛びながら俯瞰で見ているのだ。今は眉毛もちゃんと抜いたり剃ったりして整えているけれど、何も手入れしていないときの眉毛は結構しっかりとぼさぼさしていた。もしかしたら飛ぶ夢を何度もみたからなのかもしれない。
とおくからひとをみているおおかみよ 赤野四羽
この句は単体で読めば、ただそれだけのことなのだと思える。国内では食物連鎖の頂点に立つ狼。孤高の生き物のように感じるけれど、単にそういう生き物なのだ。けれどこの10句の中に入ると余計な意味付けがされてしまう。そういうところが個人的にはあまり楽しめない。
第405号
■小野あらた 喰積 10句 ≫読む
第406号
■花尻万博 南紀 17句 ≫読む
第409号
■なかはられいこ テーマなんてない 10句 ≫読む
■兵頭全郎 ロゴマーク 10句 ≫読む
■赤野四羽 螺子と少年 10句 ≫読む
2015-03-15
【週俳・1月2月の俳句を読む】体が思わず反応してしまう 近 恵
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